3.11の話を書こうとして記憶を探っていたら、結構な記憶違いをしていたことに気付き茫然とした。
11年前の3月11日、僕は埼玉で被災した。
老人保健施設で働いていて、会社の借り上げアパートに住んでいた。
それが38歳。
記憶では、埼玉にいたのは35歳くらいだったと思ったが、いろいろと辻褄が合わなくなっていたのできとんと思い出したら、38歳の頃は埼玉に住んでいた。
その日、僕は夜勤明けで寝ていた。
寝ている間に地震が起き、夕方施設に行って、その夜は水道も電気も止まった中でオムツ交換をした。
その日からしばらく信号機は時間で動いたり、インフラが止まったりした。
青森の家族は無事だったし、仙台に出張に行っていた幼馴染も無事だった。
11年経った今、いろんな人の記事を読んでいると、一口に「被災」と言っても人それぞれだし、福島と僕らでは受け止め方が違うのかもしれない。
その時、膨大な情報が飛び交った。
たぶん僕は前の垢でTwitterをやっていたし、いろいろなことを呼びかけるツイートも目にした。
11年。
なんというか。
時ってすげえなと思う。
決して逆には動かない。
そして確実に時は進む。
あなたは11年前、何をしていただろうか。
そして11年前のあなたはいまのあなたを想像できただろうか?
そう思うと僕の場合は
「こうなりたい」と思ったことは何1つ実現していない気もする。
その場、その時で、こうしようああしようと思ったことをやってきた。
しかも何となくやってきた。
流れるようにやってきて、今ここに流れ着いている。
そんなイメージである。
僕の場合は。である。
だから何を言いたいわけではないし、タラればを言いたいわけではない。
そういう時いつも僕は「時の流れ」の広大さを感じてしまう。
そして、少し感動してしまう。
個人なんてちっぽけだと思うし、だからこそ小さな幸せを大事にしていきたい。
今日も賭けない一日を。