共依存と依存症。

先日オンラインミーティングで家族についての分かちあいをした

当事者の多くが家族に借金の肩代わりをしてもらっている

それで底つきが遅れてしまっているという現状がある

僕もそうだったのだが

親はかわいがって、心配して肩代わりしたりする

当事者も親がそれくらいするのは当たり前などと思っていたりする

「自立」という観点からすれば

どちらも歪んでいて、当事者の自立を妨げている

ただどちらも悪気はないのである

「共依存」と言えば共依存であり

「依存症からの回復」という観点から言えば

親の肩代わりは厳禁である

当事者は「誰にも頼れない」という意識を持つしか

自分の自立は難しいのである。

やはりそれが非常に難しい問題として挙げられる

手助けせず愛を持って見守ることを「タフラブ」と言ったりするが

むしろ何もしないことほど難しいことはなかったりする

ただその行為が当事者の回復を妨げている と理解することから始まる

当事者も「自分で何とかしなければいけない」と覚悟できなければ自立は難しい

実際に親がいなくなったわけではないので

頼る場所があるのに頼らないというのは結構難しいものだ

ただいずれ親は先に死ぬ

その時当事者が独りで生きていけることが大事なのだと思う

僕自身も借金の肩代わりや仕送りも存分にしてもらったし

溺愛されていたと思う

それに僕は依存していたのかもしれない

でも結果的に良かったことは

祖父母の死や親戚の病気などで

30歳で頼る場所が現実的になくなってしまった

そのことが僕にどうにかしてサバイバルしていかなければいけないことを覚悟させた

ただそれまで共依存で守られていきてきた僕にとっては

守られない身で厳しい社会で生きていくには非常に困難を伴った

やっと独りで生きていけると感じられたのは

ここ最近50歳になってからだと思う

それほどアダルトチルドレンが大人になるということは困難だった。

今でも「生きづらさ」を抱えているし

どうなればいいかわからないこともある

それでも僕らはこの世界を生きていく。

今日も賭けない一日を。