便利の先の未来。

先日、スマホが故障して機種変更する間、2日ほどまともに使えなかった

それでも、いつもの癖で銀行の残高を更新しようとしたり、将棋のゲームをしようとしてスマホを触っていた

思えばすごく便利になったものだ

スマホがあればほとんどのことができてしまう

時代もスマホでできるようにすべてのサービスが集約されていく

僕らも毎日をスマホなしでは不安になってしまうほどである

そもそも「銀行の残高がスマホで確認できたらいいなあ」という

便利さを追求したのでスマホで確認できるようになった

つまり便利を追求しているのである

ただ、便利を追求しているのだが、ちっとも余裕がない気がする

そもそもそんなサービスがない時代には

確認する必要すらないし、別にスマホでゲームをする必要もなかった

便利になったから僕らも適応してしまっている

そして文化や技術は不可逆なものである

つまり、不便な時代には戻れないということ。

バブル時代が良かったなあと言っても

もうあの時代には戻れないし

江戸時代の暮らしがいいなあと言っても

今更便利さは捨てられないのである。

ただ、僕らも何のために「便利さ」を追い求めているのか

を立ち止まって考える必要はあると思う

サブスクの映画サービスを使えば何万というタイトルを観ることが可能だ

よくタイパなどというが

そもそも時間を節約して、さらに違う映画を観るのは正しいのだろうか

本来の目的は時間を節約して、余裕のある生活をするためではなかっただろうか

便利になってさらに忙しくなる

何だか本末転倒のような気もするが

僕もまたスマホが使えるようになると

再び銀行の残高を確認したり、将棋のゲームをしたりしている

新しいスマホはサクサク動くし、画面も大きい

でもやがてこれにも慣れるだろう

3年もすれば古くなっていく

海外では頭にチップを埋め込む実験をしているという

SF映画で観たことがある世界もそう遠くないのだろうなあ

だとすれば

やはり人類はいずれ滅亡するのだろう

まあ 僕は生きてはいないけど

今日も賭けない一日をありがとうございました!