「Rさんだからできることですよね」

「Rさんだからできることですよね」

相談を受けてそう言われてしまうと僕はがっくりしてしまう

何だろう、この徒労感は?と軽く絶望する

それを言われたら話は終わってしまうから

もちろん僕は支援者だし、心理師でもあるから

「僕だけができるわけじゃないし、あなたもできますよ」と話す

本人ができると感じられなければ

本人が変われると感じられなければ

意味がない

だから僕は本人がそう思えるように支援する

それでも「あなただからできるんですよね」

そう言われると絶望感を覚える

僕自身も「そうかもしれない」と思う部分もあるし

「簡単にあきらめるんだなあ」という絶望感に襲われる

もちろん相手は僕ではないのだから

僕にできることは限られているし

他人ができることなんてほとんどない

僕だって将棋の藤井君や野球の大谷君の活躍を見て

「天才だからできるんだよなあ」と彼らの努力も知らずに言ってしまうこともあるし

「頭いい人はいいよなあ」や

「恵まれた人はいいよなあ」という言葉はよく聞く

僕はそういう言葉を聞くたびに軽いめまいを感じる

「諦め」の言葉に聞こえるから

諦めの気持ちもわかる

それに僕と君は違う人間だから

能力も素質も努力の仕方も違うだろう

でもだ

でも

でも

「あなただからできるんですよね」とか

「頭いいから」「良い仕事についてるから」「コミュニケーションがうまいから」などと言われると

僕は絶望感を感じる

そこで終わるから、それ以上何も言えなくなるから

でも、僕は3分絶望した後で君に言いたい

「だから何?」と

「あなたは頭がいいから」

「あの人は恵まれてるから」

「僕にはできないから」

「だから何?」と僕は言う

僕は決して優秀なカウンセラーでもないし、人格者でもない

だからあえて言う

「だから何?」

足りないなら変わればいいいし、勉強すればいいし、練習すればいい。

それは強者の論理だろうか?

違うね

「Rさんだからできるんですよね」と言ってくる人は僕の何を知っている?

今週200円で生活しなきゃならなかったことや金がなくて祭りに盗みに行ったことや寂しくて花火の夜にデリヘルを呼んだことや

リスカした後が残っていることや精神薬でおかしくなって仕事行けなくて教会で泣きながら祈り続けたことや

そういうことをすっ飛ばしてそんなことを言われることもある

そういう時、僕は言う

「だから何?」

厳しいようでも、冷たいようでも、そのスタンスは変えないと思う

変わりたかったら変わればいい

僕はそう思う

それが「強者の論理」だと言われるなら

それはそれでも構わない

まあ 実際の僕はすげえ優しいけどね

もちろん優しいだけがいい支援なわけではない

僕を支えてきたのは優しいけど厳しい人たちだった

僕は僕を生きていく

君はどうする?

今日も賭けない一日を。