そもそも人生は無理ゲーである。

たまにはネガティブなことも書こうと思う

別に世界は希望だけで満ちているわけではない

最近疲労が取れず、抗鬱剤を増やすことにした

まあ薬を調整することはよくあることだけど

たまに「そんなに社会に適応させるために自分を合わせる必要があるのか」と疑問に思う

よく考えると世の中は無理ゲーだらけである

良い子に育つと融通が利かないと言われ、学力だけでなくコミュ力も求められ、結婚や子育てを求められ、ある程度の収入を求められ、車や持ち家を求められ、

いやいや誰も求めてないって

って言われてもそれを降りようとすれば社会からはじかれ、降りることもできない。

なんなんだろうなあとたまに思う

そりゃあ 自由に生きればいいのかもしれないが、そうすれば養育費や生きるための金に困窮する

結局僕らは社会の中から降りられない

降りたとしたらそれは社会からはじかれることを意味する

もちろんすべてを「自分の価値観」で生きる強者もいる

ただそれはほんの一握りである

僕らはただ

プライドを保つくらいの仕事をして、仕事から帰ったら好きな人が待っていて、共に寝て些細なことに笑い合う

そんな暮らしだけを求めていたのに

それだけでよかったのにね

そんなことを思ってしまう

まあ 人間良い時も悪い時もある

そう思わないとやってられないのである。(笑)

どうして世の中は柔軟性があって、何でも前向きで、物分かりが良くて、ポジティブな人ばかりだと思われるんだろうな

そこにはネガティブでそれについていけない多くの人がいる

そういう人たちも含めて社会なのにねえ

だいたいが性善説で社会を捉えたりもする

本当はポジティブな人もネガティブな人もいろんな人がいてもいい

それが多様性であり、包括的だと思うんだけどねえ

みたいな

今日も賭けない一日を。