正月と多様性と。

正月は1日に実家で夕飯をごちそうになり、従兄弟の子どもにお年玉をやって終わった。

あとは特になし。

ここ4年、離婚してからはそうやって過ごしている。

自分の子どもは元妻の実家で正月だし、クリスマスやら何やらでいろいろとあげたのでお年玉はない。

従兄弟の子どもが大きくなるのが正月の楽しみである。

実家は叔母と従兄弟家族が住んでいる。

僕は実家を継がなかったので、叔母にそれは任せている。

昔は祖父が親戚を集め、お年玉を交換していて、僕を含め従兄弟は8人いた。

でも、ここ最近は集まらないし、お年玉をあげる対象も2人である。

昔は良かったなどと言う気はないが、きっと家族が集まるということもなくなっていくのかもしれない。

僕はずっと家を出たかったし、家に寄り付かなかった。

自分の子供が出来て、1年くらいは挨拶周りをしていたが、それもなくなってしまった。

ふと気づけば僕には身寄りがない(笑)。

配偶者も子供もいるわけではない。

だからなんだという感じであるが、特に不自由はしてない。

家族の形なんて自由でいい。

正月に帰って東京の従兄弟と話すと個人のスタイルも様々だなあと思う。

思えば、彼女は少し変わっていた。

高校時代よりライブを追っかけ、芸大に入り、今はライブハウスの店長をしているという。今、35歳くらいか。

10歳年上の夫と結婚し、子どもはいないが幸せそうである。

ライフスタイルを聞いたら、仕事が夜から始まり、夜中に終わるから寝るのは明け方4時、5時で起きるのは15時くらだそうだ。

それで慣れているから普通だと言う。

さらに旦那も自分の会社を持ち、自由にやっているが決して儲かってる風でもないが特に暮らせればいいみたいな感じ。

僕の家系は昔からガチガチのA型家系でO型が混じった僕は「部屋が汚い」だの「早く帰ってこい」だの言われて委縮してしまった中で彼女は異彩をはなっていた(笑)。

高校からたばこも酒もやり、友人も多く、自由だった。

僕はうちの家系に風穴が空いて生きやすくなったと思ったものだ。

価値観が固い僕なんかは考えてしまう。

「規則正しくなくていいの?」「正社員じゃなくていいの?」とかね

でも、そんなものを彼女は軽々と飛び越えていく。

もちろん誰もがそんな生き方をすぐにできるわけでもないし、生き方を争っているわけでもない。

当人が良ければいいのだ。

当たり前のことだけど、なかなかできない。

「正社員でなければ」「専業主婦でなければ」「外で働かなければ」「食事は手作りでなければ」「大卒でなければ」「老後2000万なければ」

そんな無言のプレッシャーを人は意識してしまう。

でも、意識するのは当たり前。

誰もが自由に生きれるわけでもないし、自由じゃない方が楽な人もいる。

そして、今いる環境や年齢、背景もあるだろう。

要は「当人がよければいい」。

僕もそう思う。

他人の意見なんて知ったこっちゃない。

僕の親の世代が70代に入った。

個人によると思うが、年齢を重ねていくと価値観を柔軟にするのは難しいんだなと感じることがある。

でも、仕方がない。

僕らもやがて歳は取るし、なかなか価値観をアップデートできない日も来ると思う。

正月の準備や何やらを姑に言われ、奴隷になるのが嫌だとそういうのをすべてボイコットした。という長男の嫁の記事を読んだ。

あなたはどう思うだろうか?

僕はいろんな意見を想像してしまった。

「そんなに嫌ならやめればいい」

「昔からみんな我慢してきた」

「長男の立場はどうなる?」

「親戚の集まりに出れないなんて子どもが可哀そう」

「私も奴隷はまっぴら」

どれも正しいような気がする。

僕はもはや「家族」「夫婦」「家」みたいな制度やシステムすらどうかと思ってきているが。

今はその転換期や過度期で「嫌なものは嫌」という時期だったり

「そうは言っても付き合いがあるでしょ」や

「私だって本当はやめたいです!」という時期なんだと思う。

どれが正しいとかだめだとかではないと思うし

働き方だって誰もが「FIRE」を目指せばいいというわけではない。

自分で自分が心地いいことを選んでいくしかない。

1つ確実なことは「誰もが歳をとるし、いずれ死ぬ」という圧倒的事実である。

僕は最近人生はあっという間だと感じているので、やりたいことはタイミングを見て躊躇なくするし

変えたいことは変えていく。

誰もがそうは思っていて、「こうなりたい」と思っても

そうはならないこともたくさんある。

それでも僕らは生きていく。

1年のはじめに立てた計画だって3か月後には変わっているかもしれない。

それだっていいと思う。

それでも僕らは生きていく。

今日も賭けない一日を。