それを失敗と呼ばずに経験と呼ぼう!

世の中は失敗しなければわからないことばかりである

それはすごく当たり前のことで

だけど意外に理解されていない

いや理解していても実感している人は少ない

例えば何かのスピーチがあって

1度経験してみて、ここは違ってたなとか、次はこうしようと思うのだ

また生活の中だって

洗濯でポケットに紙が入っていて紙まみれになってしまって

次はポケットをチェックしようとなるわけである

そう考えるとそれらは「失敗」ではなくて「経験」である

だとすれば依存症におけるスリップだって「失敗」ではなくむしろ「経験」である

それを理解しないで「自分は辞められないのだ」とあきらめてしまう人の多いことよ

ただギャンブルの神様は逃がしてはくれない

また絶対に「ああ 自分はギャンブルをやめなくてはいけない」と気づかせてくれる

これは本当であり、それからは逃れられない

例えばこれからギャンブルをやめようとしている仲間が

「自助グループに行かなくても辞めれますよねえ」と言っていたとしても

僕は何も言わない

たとえ「定期的に通った方がいいよ」と言ったところでその人には響かない

「経験しなければわからない」からである

それは自分で経験しなればならない

次にギャンブルで失敗するか、やっぱり心底自助グループが必要だと

自分で気づくしかない

それには「失敗」するしかないのだが

「失敗」という言葉が良くないと思う

「失敗」ではなく「経験」とすれば何も怖くない

すべて「経験」なのだから

「失敗」という考えは捨てればいい

たまにはいいこと言うなあ(笑)

今日も賭けない一日を。