ギャンブル依存症の叔父の話。

僕の叔父はギャンブル依存症だった

だったというのはもう亡くなったから

失踪後亡くなったと聞いた

叔父は僕の母の妹の夫で、公務員だった

叔父の子供は僕の従兄弟で、いとこ同士は正月によく集まった

叔父は僕をよく映画に連れて行ってくれた

僕は叔父から映画を教わった

「E.T」「スターウオーズ」「スーパーマン」「バックトゥザフューチャー」などなど

映画館で観る映画は本当に面白かった

僕が今映画好きなのは叔父の影響だと思う

そんな叔父は酒が弱く、すぐ赤くなり、正月に親戚が集まっても途中でパチンコに抜けた

「ちょっとこれ行ってくる」とパチンコのハンドルを回すしぐさをした

親戚の中でも「仕方ないねえ」みたいな感じで思われ、後に借金で失踪するとは誰も思わなかった

まさか身近にそんな人がいるとは僕の祖父母も叔母も思ってなかった

叔父家族は実家近くのマンションを買い、叔父は毎年一人で東京にスーパーボールを観に行った

僕によく高い服を買ってくれ、いとこの家は手塚治の漫画とゲームで溢れていた

今で言ったら「オタク」になるのだろうけど、30年前は理解されていなかっただろう

僕はいつも従兄弟の家でゲームをし、手塚治を読んだ

叔父はあまりコミュニケーションが得意ではなく、きっと親戚の集まりも苦痛だったろう

僕もよくわかる

みんな立派で真面目な人達ばかりだったから

僕もいつも逃げ出したかったから。

僕が大学生の時パチスロにはまり、正月に帰省した時にお年玉で地元のパチンコ屋で打っていたら

叔父に会った。

後に叔父は正月の席で

「Rがパチンコをやるなんて思ってなかった」と仲間を見つけたように少し嬉しそうに話した

それから数年後、叔父の借金が発覚し、叔父は離婚して、失踪した。

1度街中で従兄弟が見かけて、僕の実家に連れてきて

みんなで責めた

「逃げるなんて卑怯だ」と。

従兄弟は叔父に詰め寄り、マンションの名義変更をし、離縁した。

僕の祖父母は最後まで「何かあってらのか?話してくれたら何とかするから」と叔父を庇っていた

僕も叔父を自業自得とさえ思っていた、自分の借金は棚にあげて。

その15年後、僕も同じ道をたどるとは知らずに。。。。

今の僕なら叔父にどう声をかけるだろうか

「叔父さん、ギャンブル依存症は病気なんだよ、僕と一緒にやめてみようよ!

生きづらいもんね。独りだもんね。わかるよ、僕も同じだから。

でも、ギャンブルの行き着く先は死だよ

自分でもわかるでしょ?一緒に回復しよう!」

と今なら言ってあげられる。

親戚中で責めらる叔父を守ってあげられなかったことを

今でも悔やんだりすることがある。

そんなことをふと思い出した

僕はあの時の叔父に何も言えなかった心残りを

今ギャンブル辞められない人を支援することで埋め合わせしようとしているのかもしれない

今日も賭けない一日を。