どうやって金を盗もうかと思っていた。

この前仕事で支援が必要な高齢者が財布を開き、数枚の1万円札が見えた。

まあもはや何とも思わないし、危ないからさっさと閉まってほしいと思った

と 同時に

5年前なら

「どうやってその金を気づかれないように盗もうか」と本気で思っていたと思う

本気で。

たぶん 周りはそんなことを考えているなんて微塵も思ってないだろうけど

金に囚われるということはそういうことだ

返済に追われ、明日の食べ物をどうしようかという状態になると

人間は変わる。

それが普通だと思う

今思えば「なんであんなに金に執着していたのだろう?」と思う

だけどあの頃は

「今月の返済間に合わない。来週まで金を用意しなくては」

と常にあせっていたし、仮に用意できたとしてもそれをギャンブルに使ってしまう

だから常に金が必要だった。

そして犯罪や家庭内窃盗を簡単にしてしまう

もう一度言う

簡単に犯罪のハードルを越えてしまう

かくいう僕も家庭内窃盗は当たり前だったし、祖母や叔父の財布から散々盗んでいた。

きっと家族だって気づいていた。

だって財布から数万が抜かれるんだから

僕が抜かれたら気づく(笑)。

そしてそれは犯罪である。

僕らの仲間も会社の金を盗んだり、横領したり、盗んで売ったりする仲間もいる

残念なことだが金に囚われると誰だってそうなる

犯罪を犯すと「なぜあんな人が?」と人は言う

きっとそれはその状況になったことのない人の言い分である

僕は狂っていた頃、すべての金の場所にギラついた視線を送っていた

コンビニのレジや他人の財布、金目になりそうな物。

どうやったら自分の金にできるか、どうやったら盗めるか、そればかり考えていた

僕は死んだ祖母のコレクションしていた切手を売りさばいた

ひどい人間だと思う

本当にひどい人間だと思う

そしてそんなことをする必要がなくなった自分を本当にありがたいと思う

恋人の財布から盗もうと考えなくなった自分を本当にありがたいと思う

やっと普通の人間になれたと思う

周りの誰も僕のことをそう思う人は1人もいない

そういう性善説を狡猾に利用できてしまうズル賢い自分が本当に嫌いで

よく自傷行為をしていた

自傷をするメカニズムはそういうことだ

したくてするわけではない

自分を罰したり、それで許されたい、そんな気持ちだったかもしれない

きっとODとかもそうだと思う

きっとそういう人達は「自分を嫌いで消えたい」のだと思う

昔の僕のように。。。

そういう過去の僕や今自分を傷つけている人たちにかける言葉があるとすれば

「未来のことは誰にもわからないけど、10年後に自分を許せているかもしれない」

まあ そのくらいだ

そう思いながら僕は彼女の手首の傷跡を撫でる

今日も賭けない一日を。