今日は母親の命日だった。46回忌。50回忌過ぎたら、もういいのかな。何がもういいのかわからないが。7月31日はたとえ僕がボケても忘れない日だと思う。そして僕は母のことをまったく知らない。
なぜ、命日を知っているかって、小さい頃から墓参りをさせられてきたから。よく「なんで墓参りしなきゃならないの?」と、時には反抗期の僕はキレていた。ちゃんと気持ちをこめて墓参りをするようになったのは、ここ最近かもしれない。
46年前の2月に僕は生まれて、7月に母は死んだ。もともと身体が弱かったらしい。あとは名前と福祉の大学に行って、障害者施設で働いていた。ということくらししか知らない。当たり前だが。
だけど、僕は本当は母は死んでいたという事実を知ってから、母の面影を追い求めた。あまりにも死んだ母を神格化したため、死んだ母と話がしたいと訪れたイタコの婆さんに
「おめえ、あんまりかあさんのごとたのむはんで、かあさんじょうぶつできねえべや」
と言われてから、怖くなって、死んだ母に話かけるのをやめた(笑)
まあ そういう屈折した生い立ちを持っているから、こんな息子に育った(笑)。まあそれも今思えば、人のことを思いやれる人間にやっとなれましたけどね(笑)。
せいぜい成仏してくれや。
あ 時々さあ。 時々でいいから。写真に映りこんでくれないかなあ。僕、全然霊感ないからそういうの見ないんだよねえ。命日くらいでいいからさあ。
ね?
あれ、今日撮った墓参りの写真、何かおかしくね?
ん?
あの後ろの誰?
え?
ほえ?
・・・・・・・。