依存症が治るとは?

この前オンラインミーティングのフェローの中でこんな質問があった

「どうなったら依存症は治ったと言えるのですか?」

質問にはASKのアドバイザーや先行く仲間が意見を出し合って答えている

僕の意見は

「依存症は治らないが生き方を変えることはできる」かなあ

よく「依存症は完治しない」と言われる

この言葉を誤解している人がたくさんいる

「完治しない」の意味は

「再びギャンブルを楽しんでやれることはない」という意味である

「ギャンブルをやめることができない」という意味ではない

ここを勘違いしてはいけない

さらに言うとどんなにギャンブルをやめ続けていようと

「1度やってしまったらまた元と同じギャンブル生活に戻る」

ということである

だから僕らはミーティングに通い続けるし、新しい仲間を受け入れていく

そうしなければ忘れてしまうからだ

僕自身も

「二度とギャンブルを楽しんでやることはできない」と思っているし

「一度やってしまったらまた借金地獄に陥る」と理解している

だからこそ「最初の1回に手をつけないこと」に全力を注いでいる

さらにもっと言えば

「たとえ今後ギャンブルをしてしまってもまた仲間の元でやり直せばいい」と思っている

僕の考えは

「依存症からの回復は依存しなくなることではなく、いろんな依存先を見つけること」

だと理解している

これはたぶん正しい

僕が実際に感じていることだ

例えばあなたはどんな人間関係を持っているだろうか

例えば「仕事」「家庭」などがあるかもしれない

でも「仕事」「家庭」で行き詰まったらどうするのか?

僕には今「仕事」「家庭」「パートナー」「自助グループ」「オンライングループ」「スポンサーシップ」「将棋仲間」

などなど浅く広くコミュニティに属していて、どこかのグループで躓いても他の関係で居場所があるという状態にしている

もちろん「1人で過ごす」という選択もある

これが昔は「仕事」「家庭」しかなかったし

「仕事」「家庭」ですら何も信頼関係があるものではなかった

つまりどことも繋がりがなかったのである

だから1つ躓くとどうしようもなくてギャンブルに走ったりしていた

「依存」の反対は「繋がり」である

ただ「依存症」の人は「繋がり」が苦手だから「依存症」でもあると言える

だからこそ「自助グループ」で練習が必要だし

自己開示や人間関係の構築には失敗したり、練習が必要なのである

「回復」には「自分を変えること」が大事である

じゃあ どうすればいいか?

1番は「ギャンブルをやめ続けてる人たちに聞いてみたり」や「自助グループに参加してみたり」することである

そこには「自分を変えていった人たちがいる」

学べばいい、真似すればいい、そこから始めればいいと思う

今日も賭けない一日を。