何者にかにならなければという呪縛。

相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ[ 雨宮処凛 ]を読んだ

植松死刑囚についてはよくわからなかった

よくわからないというところが怖いと思った

全体的にわからないけど

孤立感が狂気を生むことがあるのは少しわかる

もちろん事件とは何の関係もないし

事件について、ここでは僕は言葉を持たない

だけど20代の頃、僕はどこにも繋がっていなかった

世界と繋がっていなかった

数時間の塾のアルバイトだけをして薄い社会性を何とか繋いでいた

それだって中身は実家に寄生し、まともな経済力はなく、結婚力もなく、恋人もいない

孤独すぎた

月7万くらいの収入で実家に寄生していた

自尊心はズタズタだったなあ

社会の役に立っていないと常に感じていた

1発逆転を狙って起業しようとして失敗したりした

のうのうと幸せそうに生きている奴らを見返してやりたかった

社会に認められたかった

中途じゃどこにも行けなかった

絶望しかなかった

さらに孤独で周りに誰もいなかった

もちろん自分で壁を作っていた

「こんな自分は恥ずかしい」と思っていた

だから隠れて生きていたし

でも「普通になりたかった」

「普通に」

普通とは?

結婚して子供2人くらいいて、たまに実家に挨拶して、扶養するだけの経済力があって、たまに同僚と飲みに行ってマイホームと車があって、家族サービスなんかして、。。。。

そういう「普通」

その頃の僕にはすべてなかった

シケモクを吸い、少ない給料をすべてギャンブルで使い果たし、

孤独で、社会に認められない疎外感で、暴発しそうな感情を抱えていた

寂しいと思ってもデリヘルを呼んで、たわいもない話をしたり、

普通の人からしたら「寂しいね」って言われることも

「じゃあ どうすればいいんだよ」と

どうすればいいのかもわからなかった

常に寂しさを抱え、徘徊し、認められたと願い、何者かになろうとし

何者かにならなければ愛されないと思い込み

もはや何をどうすれば誰かそばにいてくれるか

ただただ、ただただ、夜の街を歩くだけだった

そんなあの頃の僕は何か問題を起こす若者と似た部分を持っていると感じる

ただ僕はもう大人になってしまった

別に何者になる必要もなくなった

パートナーもいるし、それなりの経済力もある

でも、それだってパートナーがいなくなったら?

失業したら?

抗うつ薬がうまく効いてなければ?

まあそれはタラればだからわからない

ただ僕はもう「何者か」になる必要はない

誰かのパートナーであり、誰かの父親であり、会社員であり、自助グループ運営者であり、。。。

と一応社会的繋がりがあるからだと思う

社会的繋がりもそうだけど

他人との繋がりってどんな形でも大事だなあと思う

願わくばみなさんのそれが良い関係であることを祈ります

今日も賭けない一日をありがとうございました!