孤独の話をしようと思う。

今日の記事は大事なのでブクマしてくださいね(笑)

「孤独」の話をしようと思います。

よく「依存症」は「孤独の病」と言われます

さて「孤独」、「孤独じゃない」はどういう状態のことを言うのでしょうか?

孤独(こどく solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

たとえば、物理的には大勢の人々に囲まれていても、自分の心情が周囲の人から理解されていない、と感じているならば、それは孤独である。当人が、周囲の人たちとは心が通じ合っていないということに気付いていれば孤独である。たとえ周囲の人々の側が、その人と交流があると勝手に思っていても、当人が、実際には自分が全然理解されていないと気付いていれば孤独である。

Wikipediaより

なるほど上記が一応「孤独」の一般的な定義である

また「孤独が好きな人」や「孤独が知恵を授ける」など必ずしも「孤独」はマイナスイメージだけではない

もちろん「常に人と一緒が好きな人」もいれば、僕のように「休みは1人で過ごすのが好きな人」もいる

ここからは僕の話になるが、現在はパートナーがいて遠距離だが毎日通話しているので

誰とも話さないということはあまりない

1日2日くらいはあるかもしれないが1週間も誰とも話さないことはない

そしてもちろん仕事場では普通に仕事の話や雑談はする

だけど週末などに「飲みに行こうか」などと常に声をかけられる人はいない

まあ だけど困ってはいないし、「孤独感」も今はない

ただ、4年以上前はパートナーもいなかったし、仕事以外は話す人もいなかったので

きっとそれは「孤独」だったと思う

誰だって寂しい時期はあるし、寝逃げすることもあるし

どうしようもない時は誰かにDMを送ることもあった

寂しい仲間を探すこともあった

今はたまたまパートナーがいる時期なので恵まれているが

もしいなければ仕事以外の人間関係は自助グループになるが

やはりそれは恋愛やパートナー関係とは少し違う

もしそういう状態になったらどうするかなあ

また教会に通うとか、パートナーを探すとか、まあ何らかはすると思う

だって「人は1人では生きられない」と僕は思っているので。

「1人」という意味はもちろん「1人暮らし」という意味ではなく「社会的繋がりがない」という意味である

それはなかなか辛い

たぶん1週間も耐えられないし、きつくなっていくと思う

だから僕は今恵まれていると思う

ありがたい。

ただ「孤独」な状態もなければ「誰かと繋がろう」とか「何とかしなければ」と思えないと思う

「寂しい」とか「孤独」と感じるからこそ「誰かと一緒に居たい」と思うのだと僕は感じる

よく支援者の間やニュースなどで孤独の問題が報じられると

「制度を利用すればいいのに」とか「誰かを頼ればいいのに」という声があがったりする

ただそういう人たちは「頼るスキル」や「相談するスキル」が乏しいと感じる

実は僕もそうだった

今でこそ何でも話すし、人と繋がることは平気だが

昔は「自分のことを話すスキル」がなかった

この4年間で自助グループなどで練習した

そう「悩みを相談するスキル」やそもそも「自分のことを話すスキル」がなかった

少し話がずれるが20歳の頃、精神科に鬱や不安障害で入退院を繰り返していた

僕は退院しても家に帰りたくなく、また入院したりしていた

なぜなら病院なら誰かいるし、誰もいない独りの部屋よりもよっぽどマシだったから

そういう意味で僕は「人間関係」や「友人」を作るスキルに欠けているのだと思う

まあ今はそれに悩むことはないが

それは温かい周りのおかげである

パートナーや誰とも話さなければ土曜日には地元のGAがあるし

地元のGAも最近は誰も来ないが(笑)

誰も来なければ木曜日にオンラインミーティングがある

そうやって僕はいろんな場所を利用しながら誰かと細々と繋がっているのだ

そういう社会資源を使っているといっても過言ではない

僕は今は独り暮らしだし、特段友人もいなし、一人が好きだし、人間関係を作るのが不得意である

であるならば社会資源を利用すればいいと思う

あとは自分の時間を自分で楽しめるようになればいいかなあ

いつも誰かが寂しさを和らげてくれるとは限らないのだ

僕の座右の銘は

「自分の機嫌は自分で取れ!」である

「孤独について」の話は大事なのでまた今度しますね!

今日も賭けない一日をありがとうございました!