結局は当事者も家族も自立することが大事なんじゃないかと。

昨日の相談会とかいろんな話を聞いて

結局は当事者も家族も自立して、自分の幸せの責任は自分で持つこと

がすげえ大事なんだと実感している

普段僕は仕事で高齢者の支援などをしているが「転ばぬ先の杖」みたいな支援をしてしまっているなあと反省した

少し僕の話をするが僕は23歳から30歳まで実家に寄生していた

実家には祖父母がいて僕は時々アルバイトをしながら通信大学などに行ってはのらりくらりギャンブルをしていた

30歳の時祖母が脳梗塞になって僕は実家を出なければならず、そのまま寮に入ったり、戻ったりした

結局経済的に自立したのは結婚した40歳頃かもしれない

いや離婚した後かもしれない

それくらい「自立」というのが難しかった

その癖20代~30代は文句ばかり言ってた

「家族がああ言った」「社会がこうだから」「就職ができないから」

そんなことばかり言っては実家に寄生していた

今思えば僕は依存体質だと思う

もちろんそこにはACだとか機能不全家族とかいろいろあるんだろうけど

それを言っていても何も始まらない

僕は「早く大人になりたい」とか「自立したい」とか思っていた

でもそれは本当は社会できちんと働いたり、自分のことは自分でしたりとか

当たり前のことをやるだけだった

それをああだこうだ文句ばかり言っていた

そりゃあ 依存症にもなるし、病気にもなる。

今ならよくわかる

あまちゃんなのだ 甘すぎる。

30歳の時、強制的に自立に向かうしかなかった

それは今考えればありがたかった

もしそれが40歳まで続いていたらと思うとぞっとする

今やっと50歳を目前に「大人になれたなあ」と少し思う

きっと18歳で働いたり、社会で揉まれたりした人は違うんだろうけど

僕はそれだけ時間がかかったと言うだけの話である。

ちょっとまわり道をしたが、子供が一人暮らしできるかとか

そんなんでやっていけるのかとか

そんなのはやってみなければわからない

世の中には経験しなければ身につかないことがたくさんある

本当にたくさんある

人付き合いや人間関係だって

傷つけ、傷つけられながら距離感を学んでいく

やってみなければわからないのだ

意外とうまくいったり、楽しんだりするものだ

僕も人に助言するときについつい悲観的なので大丈夫だろうかと慎重になってしまう

そんな時は「信じること」にしている

その人が持っている力「エンパワメント」を信じることにしている

なんというかそれこそが支援の神髄のような気が最近している

今日も賭けない一日を。