「普通」へのアンチテーゼまたは研究序説。

面倒くさい記事になりそうなのは今哲学書を読んでいるからなので勘弁していただきたい

なるべくわかりやすくは書こうと努力はしてみる

「普通になりたい」の「普通」とは何か?

僕も昔「普通になりたい」と切に願っていた

それはつまり今の自分を「普通」だとは思えていなくてむしろマイナスだと思っていて

せめてプライスマイナイゼロにはしたいと思っていた

それが「普通」だった

具体的に言うと

・正社員で働く

・結婚する

・良いクルマを持つ

・持ち家を建てる

・実家とうまくやる

などなどまあサザエさん的発想ではあるし、世間から押し付けられる価値観ではある

でもこれがまた強力なんだよねえ

特に自分が正社員でもなく、結婚もしてなく、子供もいなく、ギャンブルもやめられない時には

非常に強力な価値観となる

そして「普通」になれない「普通じゃない」自分をだめだと信じ込む

実はこれは2元論であり、「白か黒の世界」である

つまりそこには「普通」か「普通じゃない」の2つの価値観しかない

本当はそうではなくて「ちょっと普通」とか「少しだけ普通じゃない」とかもあるはずなのだ

さらに言えば別に「普通」でなくても悪くはないのだ

今の僕はむしろ「普通でない自分」を武器にしているし、誇りにすら思う

「普通なんてくそくらえでつまらない」そう思う

でも

「普通でもいいし、普通でなくても別にいい」

それがまあ 寛容なんだと思う

別にお風呂でおしっこをするくらいは何でもないのである

いやだめか(笑)

では おやすみなさい。