怒ゲーム。

「怒りは毒である」 ~ドロップザロックp73~

最近はほとんど怒らない。

今までの怒りの原因を思い返してみると

「不当に傷つけられたことへの怒り」だった。

それは多くの場合、高圧的な態度や言い方である。

先日も2件ほどこういうことがあった。

たまに行く行政機関の窓口で

「ここの記載はどうなっているのですか!?」と毎回言われたりする。

僕は慣れてしまって、そんなことでは傷つかない。

これも言い方だと思う。

「ここの記載、不備があるのですが訂正していただけませんか?」でいいのになあ と毎回思う。

どうやら他に窓口を訪れる人もそう思っていると聞いたことがある。

「あのさあ、物の言い方ってあるよね。しかも行政の窓口ですよね。対応は考えた方がいいですよ」

とはもちろん言わず

「はい、今確認します。すみませんねえ」と応える。

別に気にしない。

別の件。

会社の事務に実務経験の確認に行った時

「そういうのはそっちで調べればいいんじゃない?」と怪訝な顔をされたが

「いやまあ、会社で書いていただくものなので、確認していただければ助かります」

とだけ伝えておいた。

僕はもうこの手の態度、言い方に傷つられないし、怒らないことに決めている。

大体、怒っている人以外は優しい人も多いし、その時以外は関わらないので平気である。

仮に僕が怒ったとしよう。

その怒りはその人の中の怒りにさらに火をつけ、

「おう、上司呼んでこいや!」になるので(笑)。

こういうのは大体、こちらが正論であり、正しいことを述べているのであれば非難されるいわれはなく

だから丁寧に正論だけを伝えるようにしている。

それで問題はない。

そして、僕も唱える。

「こんなことくらいで僕は傷つかないし、怒らない」と。

そして、晩飯のことなどを想像してみる。

そうすれば怒りは続かないからいつの間にか去っている。

多くの場合は「ものの言い方」である。

自分自身も気をつけている。

どんな言い方が人を傷つける可能性があるのか。

どんな言い方ならば物事をスムーズに進められるのか。

この5年鍛えた。

昔は他人の高圧的な態度、言い方に怯え、傷つき、病んだ。

でも、もう僕は傷つかない。

もちろん、不当な行為への正当な怒りも、怒らなければいけない場面があることも理解している。

でも、もう怒りの感情に振り回される人生は残っていない。

そして、僕は大人になった。

今日も賭けない一日を。