自己犠牲という名の自殺。

ちょっとおどろおどろしいタイトルにしてしまったがそんな怖い話ではない

まずはこちらの記事を

自己犠牲をやめたら人生が好転 ~女性医師が伝えたい幸せの法則~

僕はこの記事の内容がすごくよくわかる

わかり過ぎて泣けてくるし、僕はどうしたらいいのですか?と聞きたくなるほどである(笑)

そもそも僕はこの「自己犠牲」という言葉が大嫌いである。本当に。

なぜならそうやって僕は自分自身を殺してきたから

ボロボロにしてきた

そもそも僕はアダルトチルドレンだった

アダルトチルドレンとは何か?というのはここでは省くが

僕は幼少期から自分の意見が言えなかったし、人の顔色をうかがうスキルにたけていた

それはきっと「嫌われたくない」とか「見捨てられたくない」とかいう恐怖からきているものだと思う

そう「見捨てられたくなかった」

なぜそう思ったか原因はわからないが小さい頃から自分を殺して生きていた

それが生き延びる術だったから

だから自分の意見を言わなかった

いや もはや言えなかった

そうやって生活していると高校の頃には自分が何が好きで何が嫌いかも自分でわからなくなった

なんとなく進学校に行き、何となく経済学部を選び、なんとなく世間で良いと言われる方向へ進んだ

でもそうやって生きているといずれ壊れる

そして16歳で壊れた。。。

過度のストレスはパニック障害の発症へつながった

僕は小さい頃からよく泣く子だった

それは今思えば「これを言ったら怒られるし、あれを言ったら嫌な思いさせるし」で

結局泣くしかなかった

「自分の意見」をこの世に言っていいものだと僕は理解してなかった

そう感じていた要因は生育環境だけではないと思う

僕自身の資質も絡んでいると思う

つまりもともとそういう風に考える子だったとも言える

ともかくこの「他人の目を気にして、誰も傷つけないで生きる」という思想は

いつの日か「自己犠牲」へと向かう

「自分さえ我慢すれば、世界が平和で暮らせる」

「自分さえ我慢していれば、あの人は助かる」

「自分さえ我慢してもっとやれば、会社はうまくいく」

そんな歪んだ考えをするようになっていった

そうしてよくぶっ倒れて、よく抑うつ状態になったし、自殺企図をした。

若い頃はよく手首に傷をつけて仕事していたものだった(笑)

それから少しずつ解放されはじめたのはこの数年のことである

僕が支配されていると感じる身内もどんどん亡くなり、その支配を感じる必要もなくなっていった

ただ、今度は「空っぽ」の自分と向き合わなくてはいけなかった

僕には「何が好きで何が嫌い」の感覚が欠如していた

例えば「この音楽が好き」というのであっても

・世間で流行っているから

・これを知らないとバカにされるから

・他人にどう思われるか怖いから

という考えが後ろに透けて見えていた

僕はそれから少しずつ「自分の好き嫌い」を見つける練習をした

それはどんな時に「自分が心地良いと感じるか」

そして「それは誰かの目や世間の価値観に影響されていないか」を点検していった

おかげで今は朝4時に起きるし、Vtuberが好きだし、Adoちゃんが好きだしカラオケも好きだし、ボーリングも好きである

たぶんそういうのが僕にとっての「自由」なんだと思う

別に独立することとか、お金に余裕があるとかではなく

「好きなことを好きと感じれること」

かな

それは普通に生きてきた人にとっては簡単なことかもしれないけれど

「自己犠牲」の中で生きてきた人にとってはこの上ない「自由」である

でも僕は今でも自分でしようとしていることが

「自己犠牲」なのか「自分のやるべきことなのか」区別つかないことも多いし

これは「支配」されようとていることなのかわからなくなることも多い

そういう時は「自分の心や身体」の声を聞く

無理をしていれば必ず「自分の心や身体」は悲鳴をあげる

それは自分が自分の中で分裂している証拠だからだ

だから僕は今日も自分の中の声を聞く

今日も賭けない一日を