デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場を読んで。

僕は正直、この人はあまり知らなかった。どの程度かというと「ネットでエベレスト登頂を生中継する人がいるんだ。へえ」くらいでニュース記事を読む1人に過ぎないし、登山に至っては全くよくわからないので、実は宣言と違うことをしていたと書かれていても「別にいいのでは?」くらいの素人である。

それでも僕は今日1日、この本を夢中で読んだ。僕は内容ももちろんだけど、物語の構成、エンディングの行方とかが気になってしまうのだけど面白かった。実に。

失礼ながら本当に僕はこの栗城史多という人をほとんど知らなかった。でも多くの人が魅了されたのであれば、それなりの理由もあったのだろうし、人それぞれの見方だなあとは思う。

ただ、亡くなった後にあれこれ言うのは後出しじゃんけんのような気もするけど、著者には書かなければならない理由も自身にあったのだと思う。

僕が気になって読んでいたのは、世間の注目のされ方と人は変わるということだ。

こういう注目される人が不憫だなと思うのは、世間はあっと言う間に持ちあげるし、あっと言う間に飽きるという残酷さだ。正直、怖いなと思う。ましてや今はネット社会であり、1つの不祥事、いや事実でないことさえも拡散されたら、例えば芸能で生きてる人はそれ以後仕事がなくなるという残酷な世界になってしまった。

彼は本当に才能もあったし、行動力もあったのだろう。ネット中継という手段や斬新なこともやっていたし、そういう才能はあったのだろうと思う。

まあ本当に僕がとやかく言うことでもないのでノンフィクションとして、単純に面白かったです。

著者は「ヤンキー先生」も番組等制作していて、本の中でヤンキー先生が有名になるにつれて変わってしまって残念だったというようなことを書いているが、人間変わってしまうのは仕方ないことではないのかと思ってしまう。

「じゃあ、お前今主張していることを10年後もぶれずに主張しろよ!!」というのは酷なことではないだろうか?

良い方にも悪い方にも人は変わる。ただそれだけである。

本を読んで僕にも少し思い当たることがあったので最後に書いておきたい。

昔僕はギャンブルをやめるために「禁ギャンブル ~日目」と参加していた掲示板で毎日更新していた。

僕は順調だったし、これでギャンブルを辞められると思っていた。でもご多分に漏れず 100日くらいでスリップしていた。スリップしたら掲示板では報告しなければいけないし、情けない思いもしなければならない。

ある時僕はどうしても「スリップしました」と書き込めなかった。怖かったのだ。どう思われるか怖かった。否定されるのが怖かった。だから嘘をついた。嘘をついて「禁ギャンブル~日目 今日も賭けませんでした」と書き込んでいた。

いつしか平然と嘘を書き込むようになっていたし、そのうちその嘘に耐え切れなくなって僕は掲示板を辞めてしまった。

今思えば「いや~スリップしちゃいました~てへぺろ!ギャンブルやめるのって難しいですねえ。また頑張ります!」って言ってしまえばよかったのにと思ったりもしている。

もし、今ならどうだろうか?

「あ すみません。ギャンブルやってしまいました」と書き込んだらどうだろうか?

たぶん、いろんなところで動揺する人もいるのかもしれない。

まあ でも

「まあ しょうがないよね。それくらい難しいことだから。全然よくあることだよ」と言ってくれる数人の顔が目に浮かぶ。

それが昔嘘をついた頃と違うことだろうか。

だって、誰のためでもない、自分のためにギャンブルをやめているのだから。

そして、僕の「てへぺろ」を受け入れてくれる環境にいることを心底嬉しいと思っている。本とはあまり関係ないが(笑)。

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場
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