ほんとうにたいせつなはなし。

ギャンブル依存症からの回復

もしも、今日の記事の内容に興味を持ったのなら、たぶん、「それ」があなたの見つめるべきものなのだと思う。それでは僕と一緒にダイブしてみよう。

「あなたはなぜギャンブルをするのですか?」という質問をきちんと考えたことがあるだろうか?この問いに答えるためにはきちんと自分の心の奥底を見つめなければいけない。向き合う覚悟はあるだろうか?

「お金を増やすため」「スリルを味わうため」「現実逃避」いろいろ答えは人それぞれだろうが、本当にそんな理由なのだろうか?

僕の答えは1つだった。

「穴を埋めるため」だった。心に空いた穴を埋めるためにギャンブルをしていた。金があれば何でも手に入って、ギャンブルをしている間は穴を忘れられた。決して埋まることはなかったけれど。

僕には「心の穴」がはっきりと感じられた。その輪郭さえもなぞれるほどに。そして僕はことあるごとに、カウンセラーや牧師や仲間に訴えていた。

「僕には穴があって、その穴を埋めるために依存行為をしてしまう。この穴を何とかしなければ。どうしてわからないんだ」

そう訴え続けた。あるカウンセラーはそれを「寂しさ」だといい、ある牧師は「そこには神が入るのだよ」と話してくれた。どれもきっとあたっていたと思う。ただ、「寂しい」のはわかった。じゃあ それをどうすればいいのだ。またもやわからなくなった。

「心の穴」が「寂しさ」や「空虚感」だということは薄々気づいていた。だけどそれをどうすればいいのか、まったくわからなかった。性行為に溺れてみたり、飲めない酒を飲んでみたり、ギャンブルや浪費をしたりしても、まったく満たされなかった。

たぶん、それは「母親の愛情」みたいな「絶対的な愛」でしか何とかならないものだとは理解していたが、母親はとっくの昔に死んでいた。

「心の穴」を埋めるために宗教にはまっていたこともある。キリスト教であるが、別に悪い気はしなかったし、そのコミュニティも好きだった。ただ、聖書は読みにくかったし、何もかも神のおかげという感覚は少し違っていた。

その後、ビックブックに出会うのだが、そこでまた出会ってしまう「信仰」という言葉に。ただ、その時は、それで何とかなるなら、任せてみようと思ったのも事実だった。

それから僕は「心の穴」を持つ多くの仲間と出会い、話をして、回復のプログラムを通して、ギャンブルをやめ続けた。

ふと、気づくと「心の穴」は消えていた。

僕はほっとした。もう「埋める」必要はないのだ。

それから僕はギャンブルをする必要がなくなった。

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