例的な話。

いやあ、今日は筆が進むねえ。サイト作らなきゃならないんだけど、まったく進んでないが。まあいいや。創造的な方が楽しいし。で「例的な話」これはもちろん「霊的な話」のパロディというかなんというか、書きたいこと書くだけだから、影響されたくない人はスルーしてください。

依存症界隈で回復過程でよく「霊的」という言葉が出てくるんだけど、まあこれがどうもね。僕は無神論者でもないけど、まるっきり有神論者でもないし、まあ グレーかな。多くのプログラム関係の本には12ステッププログラムは「宗教」ではありません。とある。

まあ僕としては「宗教」だろうとなかろうと、回復するならばどっちでもいいんだけど。それだと日本で普及するには都合が悪いらしい。じゃあ そもそも「宗教」ってなんでしょうね。まあ そこは勉強不足だから議論しないけど 「何かを信じること」を「宗教」と定義するなら、12ステップも「宗教」でいいじゃね?知らんけど。

そもそも、キリスト教の運動から来たものだし、まあ「宗教」っていうと嫌悪する人いるからだろうけど、「見えない大きな力」って。。。まあ、どっちでもいいや。と僕は思っている。それで依存症から回復するのであれば、「宗教」であろうとなかろうと「大きなちから」だろうが、「スタンド」だろうが、僕は飲み込んで咀嚼してやるだけなんで。

そもそも「宗教的生き方」は精神的健康にいいことは証明されているわけで、まあ、いいや。

少し面白い話を。僕の叔母は少し「例的」な人でよく神社のお守りをくれる。僕はそんなの全然信じてないんだけど、そんなことを忘れたある日、僕はよく不注意で車をぶつけたりするんだけど、試しに叔母さんからもらったお守りを車に吊るしてみた。その日から事故は起こしていない。ちょっとびっくりして怖いんだけど。これぞ、霊的。

まあ、そもそも「世界が自分の思い通りになる」というのは人の驕りであって、そういうのを少しだけ意識するだけで、十分霊的なのではないかと思ってる次第です。はい。

で、意外に僕は信心深い。まあ 祖母の影響かなあ。僕の母は僕が0歳の時に死んでるから。そのことで僕は死んだ母を神格化してしまった。「母ならどう思うかなあ」そうよく思っていた。ある日、地元のイタコに見てもらったとき、「おめえがあんまりよぶがら、かあさんじょうぶつできねえべや」と言われたので、それ以来呼ぶことはなくなった。

まあ、僕の「宗教観」なんてそんなものだ。結局、失踪した父にも父が死ぬまでに会いたいなあと思っていたけど、会ったの骨やし、強く願えば叶うと聞いて、教員採用試験の前日に教壇に立つのをちょーイメージしたけど、受からなかったし。まあでもいいかって思えるのが、うお座の強みでしたという話です。(笑)

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