堕落論。とは坂口安吾の「堕落論」ではない。なんとなくギャンブル依存症を「堕落論」的に書いてみたくなった。「堕落論」はまだ読んでいないが。
ギャンブルをしていた頃、
「どうでもよかった」
「何が?」
「すべてが」
そう「どうでもよかった」のだ。
自分なんぞ、信じられなかったし、生きていても仕方ないと思ってギャンブルをしていた。
サラ金の金を握りしめて「堕ちればいい」と呪っていた。一種の「自傷行為」だったと思う。
「ギャンブルをやめたいのにやめられない」しかも、どうしてもやめられない。それに伴い、借金、嘘、家庭崩壊、横領、盗み。そんなことはクズのすることだと思っていた。
それでもやめられなかった。
だから、僕は「命をゆらしていた」
「この金を賭けてなくなったら、今月生きていけないなあ」と感じながら、スロットにコインを入れ続けた。
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
「どうせ、また一文なしになって、嗚咽を漏らし、咆哮し、死にたくなり、手首を切るのだ」そんなことはわかっていた。わかっていて賭けていた。まるでそうしたいかのように。
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
まるで、その不安定で不完全な状況がなければ生きていけないかのように。
「僕はこんなに欠陥がある人間で、心に穴のある人間で、社会に適応できなくてどうしようもないんだよ。愛される資格なんてないんだよ!」
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
ゆらゆら、ゆらゆら、命をゆらしていた。
今はもう命をゆらすことはなくなったけど、時々胸が疼いてしまう。
「キミハ、モウ、イノチヲユラサクテモイイノカイ?」
「ボクハ、モウダイジョウブダヨ、アリガトウ」
今日も賭けない一日をありがとうございました。