ぶれいく かてごらいず。

以前も書いたかと思うが最近記事を書くことを躊躇しながら書いていると前置きしつつ、特に専門分野に触れる記事は僕は専門家ではないと前置きしつつ、あくまで僕の個人的意見として展開していく。

機能不全家族のことを考えていた。

依存症支援機関で活動しているスポンサーさんに聞くと「依存症者の人の話を聞いていくと多くは機能不全家族やACであることが多い」とのこと。

多いと言っているので、依存症者が必ず機能不全家族やACなわけではないと思う。当たり前だが。

この前Twitterのタイムラインに

「私は薬物依存症当事者ですが、私の家は機能不全家族でもなんでもありません。私自身を見てほしいです。」とあったり、

「僕は発達障害ですが、絵が特別上手なわけでも、突出した能力があるわけでもありません。発達障害の人全員がそういう能力があると思われても困ります」とあった。

当たり前だな。と思うと同時に僕らは勝手にカテゴライズしラベルを貼りたがる。

僕の両親は僕が生まれてすぐに死んだり、失踪しているが、寂しいと思ったことはそれほどない。

だけど周りは「かわいそうに、寂しかったでしょう」って寄ってくる。

まあ「死ねよ」と思っていたけどね(笑)

僕の生育家庭は機能不全家族だったと思うし、僕自身もACだと思う。

詳しくは書かないけど、それによって歪んできたし、30歳まで引きこもっていた。

でもまあ、今思えば、「だから何だ?」と思うんだけどね。

そりゃあ 機能不全家族だったろう。

でも子供の僕にはどうしようもなかったし、大人になってからルーツを探したり、内観もインナーチャイルド療法やったけど、まああまり変わらなかったなあ。

じゃあ、なんで今こうして回復していられるかと言えば

「わからない」です。(笑)

もちろん、「12STEPプログラム」は非常に僕にとって合っていたし、自助グループも合っている。

でも、それだけではない。

たぶん「人と出会った」からだと思う。

この2年、本当に変わった。

たぶん2年前に僕を知ってる人は「え?同じ人」くらいに変わったと思う。

でも、ほんと少しずつ変わっていったし、失敗もたくさんした。

だけど誰かと対話することはやめなかった。

そしてそれを受け入れる柔軟さを身につけた。

そういうことだろうか。

正直、私には依存症者の支援や専門的なことはまるでわからない。

わからないから学ぶ。

そしてただただ、自分のできること、地元の自助グループ、オンラインミーテング、スポンシーシップをするだけである。

昔は僕もよく自分の中に依存症の原因を探していた。

「寂しさを抱えて育ったら。」

「言いたいことを言えずに育ったから。」

「父親、母親を知らずに育ったから。」

たぶん、どれも正解だろう。

でも、今思えば、そんなものもはや仕方ないのである。

前を向いて未来を見て、自分の歪みを修正して、人の意見を取り入れて、謙虚に生きる。

それしかないのだと思っている。

そして、残念なことに僕は他人にはなれない。

いくら将棋が好きでも藤井君にはなれないし、依存症回復活動をしている有名人のようにもなれない。

僕は僕でしかない。

それは圧倒的な事実である。

僕は「自分を許す」ことから始めていった。

いつしか「自分を許す」ことができるようになって、普通に空気を吸えるようになった。

でも、焦らなくてもいい。

誰だってそのタイミングが来るのだから。

だから、もがきながらでも今日を生きてほしい。

いろいろ話がとんですみませんでした。

今日も賭けない一日をありがとうございました!

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