Rさんの場合。その2 42歳~47歳。

もうすぐ誕生日がきて47歳になる。そこで風呂に入りながらここ10年のことを振りかえっていたが、記憶が曖昧で不確かな部分も多かった。まずは激動のここ最近の5年間を振り返ってみたいと思う。

振り返ってみたら42歳は結婚1年目で子供が生まれた年だった。子育ても大変だったし、鬱で休職した年でもあった。辛い年でもあったなあ。

43歳は離婚した年だった。子供が1歳になったばかりだった。ギャンブルとその他で家族の金を使い込み、それがバレて嫁は子供を連れて実家に帰った。何度か話し合いを持ったが僕も意固地だったので、協議離婚をした。

ほっとした部分もあったが、子供がいない生活はひどく寂しくて辛かった。寂しさから借金もかさんでいった。次の年44歳の頃どうにも生活が成り立たなくなり、個人再生を目指し司法書士さんに相談する。44歳の年は個人再生の申請に翻弄されながら、結局その年末には任意整理をすることになる。

もともと個人再生をしようと思ったのは単純に300万の借金が100万に減らせると思ったというよこしまな考えからだった。当たり前だが、そんな単純な話ではなく、あらゆる資産の提出は求められたし、返済計画も必要だったし、いろいろと辻褄が合わないこともあったし、司法書士さんと話し合った結果、申請は下りないだろうし任意整理に切り替えようということになった。

45歳の2月から任意整理を始めた。4社くらいに毎月払い続け、ボーナスで繰り上げて返済していった。ただギャンブルは辞められないままだった。任意整理でギリギリの生活をしているのにギャンブルをするから、生活が成り立たなくなり明日の食べ物さえ困るようになった、本当に。

そんな頃Twitterでギャンブル依存症垢の人達と出会うことになる。それが僕の転機だった。

僕の先輩たちはTwitterでギャンブル依存症の発信をしていた。その中の一人にDMを送った。

「ギャンブルが辞められません、助けてくれませんか?」

それがすべての始まりだった。

その人が僕のスポンサーさんになる。その人に誘われ毎週開催していたオンラインミーティングに僕は毎週参加するようになった。

さらにネット上で多くの依存症垢や依存症家族垢の人とも出会った。その中で僕は回復していった。

その年の4月頃、スポンサーシップを始め、GAにも復帰した。8月にスリップすることになるが、あとは今日までやめ続けている。

これがここ5年間の大まかな出来事である。もちろんもっといろんなことはあるのだけど、だいたいということで。

もうすぐ誕生日とギャンブルをやめて1年半になる。僕は本当にラッキーだったなと思っている。

ギャンブルを辞め始めた環境等を考えると今とは全然違っている。でも環境や社会が変わっていくのは仕方ないことだと思っている。

変わっていく社会の中で僕らは回復することを灯台の明かりのように目指し生きていく。その環境を回復し続ける僕らが作っていく。

あの日僕がスポンサーさんにDMを送ったように、誰かがギャンブルをやめるきっかけになってくれればいい。

きっかけさえ作ればいいと思っている。あとは本人次第だから、本人の意欲にかかっているから、本当に。

ただ僕らができることと言えば「ギャンブルをやめてもこんなに楽しいんだぜえ~~ワイルドだろう」ということだけである。「生きるのが楽しい」という意味を少しずつだが噛みしめている。それまでは「生きるのは辛い」ことでしかなかったからありがたい。

これからも楽しく生きたいと思う。「ギャンブルを辞めてもこんなに楽しいんだよ」と生きていくことが僕の使命だと思っているから。

今日も賭けない一日を。