本当に大事なことを書きます。
「世界の果てまで行っても、自分からは逃れられない」ということです。
僕は去年まで自分が嫌いでした。今も自信を持って「好き」とは言えませんが、まあ「生きててもいいのかも」くらいですかねえ。そもそも100%ポジティブ人間を僕は信用していないので。
自分を嫌いな理由はいろいろとありました。ギャンブルをやめられないことや人間関係が下手なこと、社会にうまく適応できないことなど、その原因は生育歴やいろいろとあるでしょう。
でも、できあがった今の僕は「僕」なわけで、決して「あなた」や「彼」「彼女」ではないし、20代をリスカと処方薬依存で過ごしてきて、対人恐怖が治らない「僕」からは逃れられないのです。
昔は「僕」とは違う自分になろうと必死でした。もっと明るく、もっと傷つかなく、もっと強くなろうと必死でした。そして、そうなれなくて絶望してその繰り返しでした。
巷にはキャッチーな言葉があふれています。「自分を好きになろう!」「自己肯定感を高めるには」「ポジティブに生きる方法」そんな言葉を鵜呑みにしては、そうなれない自分を嫌いになっていきました。
でも、ある時、気づいてしまったのです。どんなに他の人間になろうとしても、どんなに他の地域にいっても、どんなに世界の果てまで行こうと、自分からは逃れられないのだということに。
たぶん、それは「真理」で。であるならば、まあ「好きになれなくても、受け入れていこう」とは思いました。なかなか好きになるのは難しかったので、まあ自分を大事にしようくらいのことから意識しました。
もちろん、今でも嫌になることもたくさんあります。他人から見たら、「それくらい」と思うことかもしれませんが、自分にとってはマイナスのことだったりします。
僕は昔から思っていました。たとえ、ギャンブルをやめられなくても、金持ちになれなくても、孤独であろうとも、「自分で自分にOKが出せたら」それでいいなと思っていました。その思いは今でも変わりません。
そのためには自分の評価を他人に委ねてはいけません。他人と比べてはいけません。比べるなら、昨日の自分と。あと人生のテンプレートに惑わされてもいけません。
老後2000万ないとだめだななんて、ひどい話です。まるで2000万ない人間は生きるなと言わんばかりです。子どもがいなければ、離婚はだめ、異性を愛さなければ、~しければ、~すべき、etc。
もう、そういうのはいらないです。
最低限の社会生活をしたら、あとは自分の自由にします。もう惑わされません。自分の好きを誰かに握らせたりはしません。
最近 赤い公園というバンドをよく聞いています。誰かが亡くなるというのはただただ、悲しいですね。
だから、まあ ゆるく生きてもいいのではないでしょうか?
凹んでも、寝てばかりでも、何もしなくても、できなくても、今日一日です。
時は残酷に1日を刻んでいきます。
たまには「あ~あ 今日は一日何もしなかった。ラッキー!」とかでいいのでは。
よい週末を。