父の日に思う。

父の日だそうだ

僕は子供の頃、この手の話が嫌いだった 父は失踪していたし、母は死んでいたから

そういう子どものことも考えてはというのは乱暴な意見であり、僕はどうでもよかったなあ

子供は家庭環境を選べない。父は生きていたが、祖父母に引き取られた子どもに会えずに死んだ。

そういう家。

だからって不幸でもなく

割と金は与えられたし、周りの人は気を使ってか優しかった

ただ、僕はひねくれていたけどね

という話を考えていたら

僕の息子もきっと繊細だから そういう思いをするだろうなと思って

切なくなったが いろんな考えを学べばいい。

世間だけが正しいわけでもなく

マイノリティが正しいわけでもない。

ただ、こういう日が来ると

「父はいないし、母は死んだしなあ」と思うだけだな

寂しいとかそういうのではなく そういう家に生まれたのだと思っていたかなあ。

「ロケットマン」を見て、親子関係って人生に影響するし

後々まで恨んだりするんだなあと思った。

そういう僕も20代まで父を探しまわっていたし、

死んだ母にこだわり続けた

母ならこう思うだろうか とか 父ならどうしたろうか
とか

目の前の人たちを無視していたのかもしれない そういう僕をどんな気持ちで見ていたかと思うと胸が痛い。

それほど 僕は本当の父と母は別にいるんだ

おめえらは違うんだよ って生きてたなあ

最低だなあ

ああ きっとそういうことを思い出すために

父の日はあるんだろうなあ

それだったら 少し納得した。

謝らなければならない人たちはみんな逝ってしまった

せめて 僕の子供にはあなたを必要と思っている人間がたくさんいると感じられるように

愛してあげたい。

愛を知らない僕ができるかどうかはわからないが

君を大切に想っている。

そう僕が言ってもらいたかった言葉を
かけてあげればいいから

簡単だ。

君は僕なのだから

依存症から回復していくということはこういうことなんだと思った。

寂しかった自分を許し、恨んでいた人たちを許していく。

そういうことだと思う