1万円の価値についてのエトセトラ。

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「お金の価値は個人によって違う」

この記事は「お金の価値」から「個人の価値」までいろいろと話がとびますが

エッセイだと思って気軽に読んでいただけたら嬉しいです

さて 最近「お金の価値は個人によって違う」と思うようになりました

まあ 当たり前のことではありますが

少し考えてみましょう

経済的に言うと「お金」とは「信用」となります

例えば1万円では米が15キロと交換できるという「信用」が「貨幣の価値」です

まあ これは経済学的な「価値」の話で市場での「お金の価値」となります

ここにさらに「個人の価値」が加わります

ここに1万円があります

月収30万の人と月収20万円の人にとって

この「1万円」という価値は異なります

さらに言えば

同じ人にとって20代の頃と40代の子育て世代にとっての1万円の価値は違います

もっと言えば「個人の価値観」によっても違います

老後1000万貯めたい人とやりたいことをやり尽くす価値観の人にとっては

「1万円の価値」は違います

つまり 捉える人によって様々に「お金の価値」は変化するのです

無職でどん底の生活の人の「1万円」と

浪費癖で月10万消費している人の「1万円」は違います

だとすれば

もし「1万円」を「全然足りないよなあ」と感じてる人が「1万円もあってありがたい」と思うことも可能だということです

「自分は価値のない人間」という呪縛。

さて 昔僕は「自分は何もない人間」だと感じていました

どうしてかわかりませんが「自分は価値がない人間」だというふうに自分で感じていました

これは他人からどう見えようと関係ないのです

他人からいくら「あなたは価値のある人間だよ」と言われても

自分の心は知っています

「自分は価値のない人間」だということを。

その考えに至る過程はいろいろとあるのですが、そこは次回にします

で

「自分は価値のない人間」と感じていたので

その「価値のなさ」をお金で埋めようとしました

その当時の考えは

「どうせお金なんだろ」とか

「お金さえあればいいんだろ」と言う勘違いをしていました

まあ 当時は社会からはみ出していましたし、普通の働いている人にコンプレックスもあったと思います。

恋愛も家庭も結婚も「お金がないから」手に入らないと思っていました

つまりは「お金が入れば手に入る」

そのためには「お金を手にいれなければ」と歪んでいったのです

まあ そういう人は多いのかもしれません

お金は目に見えやすいですからねえ

「お金を手に入れても手に入らないもの」

まあ ただ今度は

「お金を手にいれたのに幸せは手に入らない」という状態になります

まあ そもそもお金でどうこうという話ではありませんので

そこで最初に戻るわけです

「こりゃあ <自分が価値がない人間と思っている自分> を何とかしなければいけないぞ」

となるわけです

ただ まあ これがまたね

大変なわけですよ

もともと「自分の価値を感じる能力を欠如」しているわけですから

最初は他人に認められることで「自分の価値」を得ようとします

親、教師、恋人、宗教、などなど

他人に認められるのはわかりやすいですからね

ただ これもリスクがあるわけです

「認められた対象が離れていくと自分の価値もなくなったように感じる」

ということです

例えば恋人に自分の価値を認めてもらっていた人は

そればかりが自分の価値だと感じていた場合、恋人と別れた時に自分の価値の喪失を感じます

他人に自分の価値を依存していると他人でしか自分の価値を感じられなくなります

「自分で自分の価値を感じられるようになること」

そこで「自分の再構築」が必要なわけです

ま 50代になって僕は今その真っ最中です

自分が自分を信じられるのは楽しいです

こんなにも傷つきにくくなるのだなあと感じています

もしも「自分の価値」に悩んでいる人がいたら

参考になれば幸いです

では また

今日も賭けない一日をありがとうございました!

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このブログの運営者

ギャンブル依存症当事者で公認心理師のRです。
このブログは僕がギャンブル依存症から回復し続ける実体験や
日々の生活のことなどを書いています。

少しでもギャンブル依存症で困っている方のお役に立てれば幸いです!
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