50歳を過ぎてシンプルに生きたいと思っている
自分に無理なことはしなくなった
そもそも僕は有名にもなりたくないし、他人を変えたいとも思っていない
そういうのは得意な人たちに任せているし
若い頃そういう承認欲求に振り回されて散々な目にあってきたのでもう興味がない
それよりも自分が心地良いと思うことをしたいだけだ
だから他人の生活に興味がない
興味がないわけではないが自分と比べたりしない
1億の貯金があろうが不倫をしていようが日本一周していようが
僕とは関係がない
支援についてもそういうスタンスである
そもそも僕は「他人を変えられる」とは思っていない
そんなおこがましいことは決して思わない
冷たいと思われることもあるが
他人を変えようとして結局手に余すひどい人たちをたくさん見てきたので
僕はそういうことはしないと決めている
そういうのが好きで得意な人がやればいい
僕はそういうのは好きではない
ではどういうスタンスかというと
「種を蒔く人」になりたいと思っている
常々支援とは「種を蒔くこと」だと思っている
「こういうふうに回復した人がいるよ」
「こういう生き方もあるよ」
「こんな風にも生きていけるよ」
そんなふうないろんな種を蒔いていきたい
それらの種が花を咲かせて、これから生きる人の指針になる
そんなイメージかな
GAのハンドブックにこんな一節がある
「また、強迫的ギャンブラーは「大物でありたい」という強い内的な欲求を持っているようであり、万能であると思っていなくてはいられないようだ。強迫的ギャンブラーは、ほかの人にこう思ってもらいたいという自分のイメージを維持するためには、(反社会的な行為であることがよくあるのだが)何をするのもかまわない。」
とても刺さる一節である
そしてかつて僕もそうだったと思う
依存症者が回復する過程でここはよく通る道である
あなたの支援は誰のためのものか
助けを求めている人のため?
それとも自分が気持ちよくなるためのもの?
それとも。。。
今日も賭けない一日を。
