僕は幼い頃から両親がいなく、祖父母と暮らしていていつも寂しかった
祖父母は僕を大切にしてくれたが世代も違うし何気ない流行の会話はできなかった
いつしか家はつまらなく、帰りたくない場所となった
そんな寂しさを僕は学校の先生などに助けられていた
小学校の女性の先生が卒業式の挨拶で
「生徒にお母さんと呼ばれたのが一番嬉しかったです」と挨拶していて
後からそれが僕だったと聞かされたが、僕にそんな記憶はなかった
高校時代は一番悩んだ時期かもしれない
自分でもわからないもやもやをいつも抱えていて
それを言葉にできなかった
もちろん青年期特有の将来への不安だったり、現状の不満だったりしたけど
そんな時は僕はいつも担任の書道教室を1人で訪れた
僕の好きな先生は何も言わず
「どうした?まあ座れや」と話を聞いてくれ、大人の意見をくれた
僕は1人の人間として扱われるのが嬉しかった
先生とは今でも付き合いがある
何も解決はしてなかったけど、話を聞いてくれるだけでありがたかった
20歳の頃精神科に数カ月入院した
その時もソーシャルワーカの女性のところへ行ってよく話をした
結局僕は寂しかったんだと思う
そして誰かに話を聞いて欲しかったんだと思う
その思いはずっとあって
大人になってからもカウンセラーや牧師や彼女や
いろんな人に話を聞いてもらった
そのうち「僕もそんな人でありたいなあ」と思うようになった
僕は幼い頃から人の感情に敏感だった
「寂しい人間」や「同種の人間」はすぐにわかる
同じ匂いがするから。
そういう仲間が必要な時に話を聞ける人でありたい
そう思っている
僕が誰かにいつの間にか支えられていたように
誰かが誰かを支えることによって
世界が少しだけ支えられるように
今日も生きていこうと思う
今日も賭けない一日を。