必ず底つきをしなければ回復しないのか?

たつやくんの記事を読んで非常に説得力のある内容で感銘を受けたのだが、自分なりに腑に落ちない部分があり自分でも調べてみたいことがあって、1日中調べてこれを書いている。

たつやくんの記事を読んでほしい⇒「家族(周り)はギャンブル依存症当事者にどう接すればよいのか」

家族のアプローチの部分だが、これに関しては僕は専門外なので、特に意見は持たない。家族会に繋がるのがベストかと思う。

たつやくんの記事でなるほどなあと思ったのは、ギャンブル依存症の程度の話である。よく分析しているなあと感心した。

ただ、ギャンブル依存症についての考察について、僕なりに情報を集めて考察したので書いてみたい。

一般的に「依存症の回復」には「底つき」が必要だと言われる。確かにそうだと思うし、仲間の話を聞いてみても「底つき」を経験して回復に繋がったという事例は多くある。

だけど、僕が疑問に思ったのは、果たして「必ず底つきをしなければ回復できないのだろうか?」ということと「周りの人間は本人が底をつくまで黙って傍観しているしかないのか?」という僕なりの疑問だった。

そこで、まず「底つき」について考えてみた。

ありのパパさんは底つきを「無力を認めた時」と説明している。⇒底つきとは何か?

底つきから底あげへという記事も見られた。

またワンデーポートのように底つきという概念すら必要ないという記事もあった。⇒ギャンブル依存問題を考えるその1

僕なりのヒントになったのはスポンサーさんの言葉だった。

「依存症からの回復には必ず底付きは必要なのでしょうか?」

「底つきと言っても人によってさまざまで、借金を1円でもしてしまった時、離婚した時、別居した時など、人によって違うし、また他人の底つきの体験を聞いて、そうならないようにしようというアプローチも必要だと思いますよ」とのこと。

僕はこれに納得した。それまで僕の中の底つきのイメージは借金が数百万で、離婚して、家も出されてみたいないわゆる「どん底」をイメージしていた。だけど、底つきは人によって様々で、家族の信用を失った時かもしれないし、時間を無駄にしたと思った時かもしれない。僕の底つきのイメージはありのパパさんと同じで「無力を認めた時」だと思う。

それであるならば、依存症初期だろうが、中期だろうが、底つきはあるだろうし、回復しないというわけではないし、それぞれに合った支援もあると思う。

いずれにしても僕は本人が「自分はギャンブル依存症なのだ!回復したい」と思った時がスタートだと思っている。

僕らの活動だって20人自助グループに繋がって1人回復するならば、分母を大きくするだけである。100人にアプローチすれば5人回復する。そのためにできることをしようと思っている。

もちろん「底をつかなければ変われない」というのは事実だと思う。だからと言って本人に響かないとしても底をつくまで傍観しているというのは僕にとってはなかなか難しいのである。少なくとも本人がギャンブルを辞めたいと言った時には、こういう方法があるよと情報提供をできるようしておくのがいいと思っている。

そして何より「ギャンブル依存症からの回復は可能だ」ということを自分の経験を伝えていくことによって、世界に仲間はいるのだということを少しでも伝えることができたらいいなと思う。

追記 この記事はあくまで僕個人の意見であり、様々な意見があるのも理解しているし、ましてやたつやくんの記事を否定するものでもない。いろんな意見があるし、いろんな見方がありますよということで理解していただければ幸いです。