見守るにも技術がいるということ。

この半年間ギャンブルもやめ続けたとともに、いろんな経験をさせてもらった。

例えば、自助グループの仲間が自助グループの時間が遅いので参加できないと言えば始まる時間を2時間早めたが、結果1回しか来ないとか。

自助グループに一度来た仲間が「来週からもよろしくお願いいたします」と言って二度と来ないとか。

「やっぱりここに来て正解でした」と言って二度と来ないとか。

まあ そんなことはもう日常茶飯事なので、もう気にしない。だけど1つ気がかりなことというか失敗したことがある。

その仲間は去年の12月に底をついていた。そして僕も「来週から一緒に回復のプログラムをやろう」と言って別れ、その後自助グループに来ることもないし、LINEの既読がつくことは今だない。無事であればいいが。

僕は多くのことを学ばせてもらった。そして、支援する側にも技術や経験が必要なことも、やみくもに「こうした方がいいよ」と言っても難しいことも。良い経験だったし、今もアップデートし続けている。

そういう時、僕は「平安の祈り」の意味を思い返す。

平安の祈りとは

「神様、私にお与えください

自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

変えられないものは変えていく勇気を

そして二つのものを見分ける賢さを」

とある

最初僕は「変えられないもの」とは「ギャンブルを辞められないこと」だと思っていた。

スポンサーさんはその意味を教えてくれた。「変えられないもの」とは「他人」であり、「変えられるもの」は「自分」であると。

また ジョー・マキューは「回復のステップ」の中で

「平安の祈りのいちばん重要な真理は「二つのものを見分ける賢さを・・・私にお与えください 」というところである。問題をどちらに振り分けるべきなのか、私たちにはその賢ささえないことに気づく必要がある。」

と述べている。

また、僕の好きなゲシュタルトの祈りも合わせて載せておく

「ゲシュタルトの祈り

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。」

それぞれの答えはそれぞれが見つけるのが重要である。

ま それでも悩むのが人間くさくて好きだけどね。

今日も賭けない一日をありがとうございました!