罪と罰を考える。
という本を読んでいろいろ考えた
ここ数年、青森ダルクで出所者の支援をしている
出所とはもちろん刑務所にいたということである
なぜ居たのかは様々だが
薬物や公務執行妨害など背景は様々である
でも ごく普通の人たちである
少し変わってはいるが、話してみればいたって普通である
そういう関わりを持ってから「罪と罰」を考えるようになった
そもそも「罪とは?」「罰とは?」「更生するとは?」
どういうこと何だろうか?
実は51年間そういうことを深く考えたことはなかった
なぜなら身近にいなかったからだと思う
世の中で「死刑制度」や「更生」について考える人はどれくらいいるだろうか?
たぶん 多くの人は「加害者」や「被害者」「その身内」にならず
またはそれらに今後も該当しないはずと思っている
僕もその1人である
51年間そう思ってきた
おそらく今後も犯罪は犯さないし、被害者やそれらの身内にもならないだろうと
思い込んでいる
でも それはいつなるかはわからない
人が犯罪を犯す理由。
では 人が「犯罪」というハードルを越えてしまう理由は何だろうか?
そして僕はなぜそのハードルを越えにくいのか?
その辺りをまず考察してみたい
人はなぜ法律を犯さないのか?
おそらくリスクを考えるからだと僕は感じている
例えば 窃盗を考えてみよう
この商品を盗みたい と考えた時
僕はリスクを考える
・捕まったら社会的に死ぬ
というリスクを考えるから止める
では 犯罪を犯してしまう場合はどうだろうか
・もともとリスクを感じていない
・そういうことを考える前に衝動が勝ってしまう
まあ こんなところだろう
僕が面談で質問したところ
だいたいはこの2つだった
・もともとリスクを感じていない というのは
何度も刑務所を経験した人の話だが
・捕まったのは運がなかっただけ くらいの話である
あとは
・捕まらないで上手にやっている人も知っているから自分も捕まらないと思った
という意見もあった
ここで1つ疑問に思うことがある
罪の意識とは?
社会的リスクの話をしてきたが、それは罪と感じているのか?
ということである
・社会的に捕まるリスク ということは
⇒捕まらなければやってもいい?
ということにならないだろうか
ということはそもそも「罪の意識」というのはあまりないのかもしれない
・窃盗が悪いこと ということと
・窃盗をすると捕まるからしない ということは同じだろうか
まあ でも 社会的リスクを考えるから人は犯罪を犯さないという方が今の社会では正しいし、抑止力だとは思う
なぜ僕は犯罪を犯さないのか?
では なぜ僕は犯罪を犯さないで彼らは犯罪を犯したのか?
要因の1つは環境だと思う
例えば僕の周りには幸い違法薬物をしている人はいない
彼らの周りにはいた
大麻を使用していた人は仲間とのコミュニケーションとして使用していた
別にどちらが良い悪いと言いたいわけではなく
仮に僕もその環境にいたら違法行為をしていたかもしれない ということだ
喫煙を考えてみよう
僕は16歳くらいから喫煙していたが
それが良くないことは知っていたが
幼馴染の部屋にたむろしていた人達はみんな吸っていた
まあ そういう影響もあった
別に犯罪を犯す人を擁護するわけではないが
誰でもそういう可能性はあるということだ
教育や理性だけでは解決できないこともある
まあ 薬物と傷害とかは少し違うような気もするけどね
続く。
