依存症は何が問題なのだろうか?

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「人は誰しも何かに依存している」

そう話す人がいる

間違ってはいない

誰だって何かに夢中になることはあるし

例えば 

・節約に依存している

・運動に依存している

・プロ野球選手は野球に依存している 

のかもしれない

「何かに夢中になること」と

「依存すること」は何が違うのだろうか

「依存症は何が問題なのだろうか?」

僕が考える「依存症の問題点」の1つは「他人に迷惑をかけること」だと思う

仮にギャンブルに依存していたとしても

「他人に迷惑をかけなければそれはその人の人生だから別にいい」

と僕は思っている

だけど 「依存症」になると必ず

依存対象がなんであれ「他人を巻きこんでしまう」

それもまるで嵐がずっと続くように巻き込んでいく

しかもその暴風雨はどんどん巨大化していき、すべてを飲み込むまで終わることはない。

依存対象が何であれ 暴力、窃盗、横領、DVなどで周りにいる人たちを巻き込んでいく

自分一人だけで依存しているならばそれは勝手にすればいい で済むが

そうはいかないのである

プロ野球選手が野球に依存していると仮に言われても

他人に迷惑をかけているわけではない と思う

そこが圧倒的に違う

「依存」「夢中」「やり過ぎ」

これらは似たような言葉であるが違うのである。

別に 散歩に依存していても、運動に依存していても

他人に迷惑をかけなければ問題はない

ただ 節約依存で それを他人にも強要したり

必要な食べ物まで節約するようであれば病的と言わざるを得ない

何事も「塩梅」が大事なのである

そして依存症になる傾向にある人たちはこの「塩梅」の感覚が壊れている

でも 時にはその特性のおかげで秀でたりしたこともある

例えばあることを懸命にやり、その分野に精通したり

寝食も忘れて1つのことをやり専門家になったり

素晴らしい特性でもある

ただその対象が ギャンブル、アルコール、薬物などでは報われない

キリがないのだ

依存すればずるほど「もっともっと」と快楽を求め続ける。

では「依存している」「依存していない」の違いは何だろうか?

僕は「自分でやめようと思ってもやめられないこと」だと思う

たとえば 甘いものを食べ過ぎて病院で注意されて

甘いものを控えることができるならば

それはまだ大丈夫だと思う

「依存症」になれば決して一人ではやめられない。

だから依存症は「病気」に分類されているのだ

そこには

・どんな立派な覚悟

・道徳的な理性

・決死の覚悟

というものが通用しない

簡単に崩れる

アホみたいに簡単に崩れる

そして人を変えてしまう

簡単に嘘をつき、家庭内窃盗をし、二度とやらないと言いながらすぐにやる

僕は「今度ギャンブルをしたら死ぬ」という人達を何人も見てきたが

そう宣言して死んだ人は1人もいない

そして僕もそう宣言したことがある1人である(笑)。

それが「依存症」である。

まとめ

・依存症とは他人を巻き込んでしまうこと。

・依存症は1人ではやめられない。

・依存症は病気である。

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このブログの運営者

ギャンブル依存症当事者で公認心理師のRです。
このブログは僕がギャンブル依存症から回復し続ける実体験や
日々の生活のことなどを書いています。

少しでもギャンブル依存症で困っている方のお役に立てれば幸いです!
よろしくお願いいたします!

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