なぜ傷つけられた方が配慮する理不尽な社会なのか?

なぜ傷つけられた方が配慮する理不尽な社会なのか?
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僕はよく傷ついていた

例えば 世の中に「傷つける人」と「傷つけられる人」がいるとすれば

僕は「傷つけられやすい人」だろう

別にどっちが良いとか悪いとかの話ではない。

僕が傷つきやすい ということもあると思う

だけど 他人に傷つけられて

その傷を忘れられず、発散したり、寝て忘れようとしたりするのは

いつも傷つけられた方である

そして次の日怯えながら傷つけた方に聞いてみると

「そんなことあったっけ?」とか言ってくる

そしてだいたい何も覚えていないことが多い

傷つけたのに である

そもそも傷つけた方は「傷つけたことすら理解できてない」

そもそも傷つけた方は「傷つけたことすら理解できてない」から

「傷つけた」と傷つくこともないのである

そして勝手に傷を負った方は

「気にするなよ」とか「そんなの無視すればいいよ」なんて慰められながら

必死で寝たり、ストレス解消をして、これ以上傷つかないようにパワーを消費したりする

でも傷つけた方は何も思わない

すごく理不尽だとは思う

でもまあ もともと世の中は理不尽なのだと思う

もしかしたら「勝手に傷ついた」方が悪いのかもしれない

でも僕はある時からもう傷つくのはやめた

だって「傷つき損」だから。

こっちが傷ついて落ち込んだ とて

傷つけた方は何も思っていないのである

意味がわからないし、アンバランスだし、不条理である。

だから僕はもう勝手に傷つかないことに決めている

僕はたとえ傷ついたとしても

「どうせ傷つけた方は絶対に忘れているからもう自分を傷つけるのはやめよう!」と

決意し、自分の楽しいことや本を読んだり、映画を見たりして

忘れることにしている

傷つくだけ無駄なので。

そういうことを考えるだけで胸糞悪いし、時間の無駄なので。

そうやって僕は今日もサバイバルしている。

まとめ

・世の中はもともと理不尽である

・傷つけた方はほとんど覚えていない

・傷つくだけ損である

今日も賭けない一日を!

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このブログの運営者

ギャンブル依存症のRです
このブログは僕がギャンブル依存症から回復し続けることや
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