論理と寛容さと視野の広さと。

意見には3つの種類がある

例えば

1、Aという意見

2、Aに反対のBという意見

3、AとBを受けてCという意見

だいたいこの3つの意見に集約される

Cという意見に到達するにはAとBの意見を理解しなくてはいけない

Aに反対のBの意見なしにCに達することはできない

少し具体例で話してみたい

備蓄米について並んで買う人に対する意見

A 味はこだわらず安いお米は並んででも買いたい

B 並んで買うよりはお金を出してでも美味しいお米を買いたい

TVを見ていたら高齢者が

「安い米を待っていた」とインタビューに答えていた

C いろんな意見はあるが味にはこだわらず安い米を求める家計に余裕がない人たちも少なからずいる

となる

Aだけを聞くとBの意見も理解できたりする

つまり

「米が安いのはわかったけど、わざわざ並んで買うほどのことかなあ」

と思ったりもする

だけどお米を買う人のインタビューの中で家計が苦しいことや子育て世代の声を聞くと

安い米にもそれなりの需要があることがわかる

ここまでの情報を聞いてはじめてCの意見に到達する

AだけやBだけの意見だけでは寛容さは生まれない

Aの意見、Bの意見を理解し、その上で視野を広く持つことが大事だと

常々僕は思っている。

その途中で自分の意見が変わっても別にいいと思う。

人の意見は変わっても当然なのだ

他の意見に納得したり、違和感を持ったら自分で考えて意見を変えてもいい。

ただその際はいろんな意見を聞く必要がある

できればA B C Dまで聞いた上で自分の意見に反映するのが大事だと思う。

人が衝突するのはAかBかで衝突する

ネット上での意見対立はだいたいがこれである

つまり その意見が正しいか正しくないか、良いか悪いかで判断しがちだ

本当はもう1歩進めてCやDを考えることが

寛容さを育てるには大事だと思うのです

今日も賭けない一日をありがとうございました!