そもそも依存行為とは。

そもそも依存行為とは「生き延びるための行為」であると考えられている

つまり「依存せざる得なかった」ということだ

僕もずっと「自分には何もない」という感覚を抱えていた

それに向き合うことが怖くて

ギャンブルをしていればそれを忘れることができた

「自分には何もないこと」に向き合うことが怖かった

なぜなら自分に価値がないことを認めなくてはいけないような気がしたからだ

自分が空っぽということを見つめてしまうと、そこには闇しかなかった

空虚という闇

底なしでそこまでも沈む沼のような闇

僕はそれと対峙するのが怖かった

でも依存行為はキリがなかった

どこまでいっても満足することがない感覚

それはそれで違う闇だった

でも僕にとってはなんとか社会と自分をつなぎとめておく手段だった

何とか精神の均衡を保つ手段だったと思う

それをしていれば「生きてる感覚」があった

逆にそれをしてなければ生きている感覚はなかった

ただギャンブルの刺激はどんどんエスカレートしていく

最初は数万賭けるだけで刺激となっていたが

いつの間にか数10万賭けないと刺激にならなかった

刺激に対する感覚は慣れていってしまい、もっと強く、もっとギリギリを!

とエスカレーとしていく

それが依存症の怖いところだ

さらに言えば賭ける金があればどこまでも賭けてしまう

いや 賭けなければいけないのだ

たとえ勝ったとしてももはや関係ない

もっともっと有金全部賭けようぜ! となる

他人や普通の人から見れば馬鹿なことだと思う

でも当事者はいたって真剣である

借金の限度額なんて貯金額のようなものでる

まだ賭けられるなら賭ける

金を作っても賭ける

だって勝ち負けよりももはや賭けることがすべてなのだから

そうもう僕らは狂っていた

これを狂人と呼ばずなんと呼ぼう

でも僕らだって知っているんだ

このお金が家族にとって大事お金だとか

このお金が今月の生活費だとか

このお金が子供の医療費だとか

それでももう脳が止まらない

僕らは願った

どうか僕を縛り付けてください

お金を持ってギャンブル場へ行かないように

身体を縛り付けてくださいと

でももはや僕らの中の悪魔に勝つことはなかった

そして僕らはすべてを賭けた

決して勝つことがない勝負へと。

今日も賭けない一日をありがとうございました!