
ひきこもりの本を読み終わったので
僕のひきこもり時代の話をしようと思う
それは23歳から28歳くらいだっただろうか
ずっとひきこもっていたわけではないけど
無職になるたびにひきもっていた
まあ仕事がないと何もすることがないからね
そもそも僕は「考える性格」だった
例えば高校生の頃から
・働くことに意味はあるのだろうか?
・生きることに意味はあるのだろうか?
・社会参加に意味はあるのだろうか?
などと頭でっかちな青年で
アイデンティティが不安定で
「意味論」に翻弄されていた
普通の若者はそんなことは気にせずに恋愛や青春を謳歌していたのかもしれないけど
僕は生活を楽しみながらも高校1年で人生に絶望していた
それはなんというかすごい我慢して高校に合格したのに
それなのにこんなもんか 的な考えや
この先も大学、会社、結婚、車、家を買うみたいなことに疲れてしまったのだ
16歳で(笑)(笑)
当然「人生の意味」や「労働の意味」みたいなことには正解はなく
自分で何らかの納得できるものを見つけなければいけなかった
当時僕の周りにはありがたいことに面白い大人がいて、僕を構ってくれた
高校の恩師はよく僕の話を聞いてくれ、卒業後に
「なぜ働かなくてはいけないのか?」と僕が問うた時に
「食うためだ」とシンプルに答えてくれて
僕はなるほどと思ったものだ(笑)
周りの大人の中には「君が恵まれているからそんなこと考えるんだよ」という大人もいたが
当時の僕は「そういうことではなくきちんと答えろよ」と思ったものだ
50歳の今の僕なら当時の僕に
「別に意味なんかなくても生きているし、稼いだ方が自由に生きれる」と答えるかもなあ
ともかく16歳で絶望した僕はそれから何となく生きてしまい
大学も実家を出るためだけに決め、ほとんど大学には通わなかった
そのくせモテたいとかどうすれば付き合えるかとかそういう普通の感覚はあった
だけど人間関係の構築の仕方がわからなかった
大学に行けば何となく人はいたがそれからどうすれば仲良くなればいいのか
いつ連絡すればいいのかよくわからかなった
そうするうちに鬱になったりした
なんとか大学には籍を置いていたが虚無感しかなかったなあ
それなりに恋愛はしたけども
1年留年して卒業した
留年は超氷河期で就職できなかったわけでなく
「社会に出るのが怖かった」のだ
だけど後々社会に出ないのはもっと辛いことだった
2年ほど祖父母に仕送りを延長してもらいながらフリーターをして札幌でプラプラしていた
家庭教師はしたが収入は5万程度だったかもしれない
どうにもならなくて実家に戻った
戻っても新卒でもない僕には仕事はなかったし
どうすればいいのかもわからなかった
やがて周りの同年代と違ってまともに働いてない自分を卑下するようになった
当時僕はよく「まともなれなくてごめんなさい」と言っていた
親戚などが実家にきても自分が恥ずかしかった
何もない日は部屋にいてハローワークに行ってブラブラしまた部屋に戻った
時々部屋から家族が談笑している居間に出られなくなり、部屋の窓から排尿したりした
それでも人寂しくて酒はそんなに飲めないのにバーとかに行ったりした
寂しいだけだった
だけどその寂しさをどうすればいいのかもわからなかった
ただただ自分を卑下し、自分をいじめていた
精神科には通院していたが、時々自分は「離人症」なのではないか
と思ったりもした
そんな僕の20代は青く、ひどく、残酷な日々だった
世界が真っ暗で壁に囲まれ、僕は透明で誰からも見えてないようだった。
この続きはまたどこかで
今日も賭けない一日をありがとうございました!