生きるのは時に悲しいことだ。

今日の記事は久しぶりに全力で書こうと思う

僕の同級生が亡くなった

彼とは高校生の同級生で高校時代はそんなに話したことはないと思う

彼は野球部、僕はハンドボール部だったし

まあただお互いに存在は知っているくらいだったと思う

高校を卒業してからの僕は同級生とはまったく付き合いがなくなってしまっていた

というか僕が避けていたから

僕を知っている人たちを避けていたから

それは自分のメンタル的にそんな感じだった

でも僕は依存症から回復して最近は本当に楽しく昔の知り合いと会うことができていた

そんな中彼は僕の勤めている病院に放射線治療にきた

僕はその治療に繋げる仕事をしていた

他院からの紹介状を見て珍しい名前、同い年、もしかして彼なのか とちょっと嬉しかったのもつかの間

紹介状には5年間生きてきたのが奇跡と言える病名があり、今回の治療依頼は再発を意味していた。

僕はネットであらゆる記事を読んだが再発した場合の1年後の生存率は数%だった

それでも彼は高校教師をしていて、昔と変わらない感じだった

彼が治療のたびに少しだけ話をして、障害のある子どもがいることや目が見えにくくなっていることなどを話した

僕は半端な医療知識から少し悲観的になっていた

毎日、朝散歩しながら僕にできることは何か?を考え続けた。

僕のパートナーは「そんなことまであなたが考えることではないよ」と言ってくれたが

そういうことを考えるのが「僕が僕であること」だと僕は今でも思っている

たとえそこまで関わりがなくても同級生なら何とかしてやりたい 

しかも僕の知識が生かせるなら力になりたいと思った

だけど治療法はほとんどなかった

新しい治療法もあるにはあったがまだ治験の段階だった

僕の勤めてる病院の医師に個人的に紹介状をみてもらったけど同じだった。

彼とご飯でも食べようと誘ってみてがタイミングや彼の体調が合わなくてついにそういう日は来なかった

それから彼は元の病院に戻り治療を続けた

僕も自分の仕事や生活を続けた

1年経ってまた紹介状がきたが、それは彼が緩和治療に移行したという報告だった

僕は何とかどこで療養しているのか職権を使って突き止めようとしたけど

難しかったし携帯にかけてもでなかったので、家族で過ごしたいこともあるだろうと

それっきりにしていた

さっき違う同級生がFACEBOOKで彼が亡くなったことを知らせてくれた

亡くなる前の日に僕は電話をかけていた 

出なかったけども 

虫の知らせだったのかもしれない

去年 彼と出会ってから僕はいろんなことを考えさせてもらった

僕にできることとは?

これから僕はどう生きるのか?

本当は何が大切なのか?

悔いのない生き方とは?

とか

答えなんて出る訳はないけど

考え続けることが死者が残してくれた宿題だと僕は思っている

宿題をありがとう

ゆっく休んでください

またどこかで会いましょう!