妬みの構造。

6万円の使い方——夫の趣味を「なぜ許せるんですか?」と聞かれて考えたこと

このnoteをたまたま読んでいろいろと考えてしまった

書いた人も彼女の旦那さんも経済的に自立していて自由に生きているように見える

本当のところは良く知らないけど

それに対して周りの

「パートナーが趣味に6万も使うのを許せるの?」という疑問は

なんというか

筆者も書いているけど「妬み」からきていると思う

「そんなに自由に生きてお金も使えていいですね」という妬み

さらに言えば

「私なんて貯金や節約で大変なのに趣味なんていいわね」という妬み、羨み。

それに対して筆者の価値観では

「あなたも好きに生きてお金使えばいいじゃない?」と思うのはすごく自然なことである

まあ たぶん本当にそう言ったところで

「そんなこと言っても子育てもあるし、学費もあるし、そんな呑気なこと言ってられないわよ」

と言われるのがオチであり、永遠に平行線だろうなあ

ま 生き方の問題である

だけど僕も記事の最初の方を読んでいて

「え?6万のロボット?」と感じてしまった

僕の中にも「自分が我慢しているのだからあなたも我慢しなさい」的な妬みの根性が染みついてしまっているのだ

まあ妬まなければいいのだろうな

妬むくらいなら好きに生きればいいし

好きに生きてるだけで妬まれる狭い世界だなあと思ってしまう

僕はどうだろう

そんな世界なら捨てたいと思うけども

しがみついている自分もいたりする

函館行きだってすごく悩んだ

他人は「面白そうじゃん」と言う友人もいたが

僕が悩んで出した答えは「今の生活に飽きているから楽しそうだな」だった(笑)。

僕はそんな小市民である

今日も賭けない一日をありがとうございました!