今思えば なぜ僕はあんなにギャンブルを渇望していたのだろうか?
冷静に考えると意味がわからない
なぜあんなにお金を作り出してまでやっていたのか
よくわからない
脳が欲していた?
確かに。
20代の頃、雀荘に通っていた
当然 お金がないと行けない場所だった。
でも夜中に突然 牌を握りたくなっていた
ともかく牌を握りたくて仕方なかった。
中だろうが撥だろうが白だろうが
握りたくてたまらなくなった
そしてまた雀荘に行った。
あれはなんだったのだろうか
おそらくだが卓に座り、勝つか負けるかのヒリヒリした感覚を脳が覚えてしまったのだと思う
確かに僕にはもともとそういう傾向があった。
中学時代にビリヤードが流行り、僕は面白くなって
やりたくてやりたくて仕方なくなった。
どんなことでもそういう傾向にあったし、なんでもある程度できるようになった。
そこに負けず嫌いが加わり、さらにハマっていった。
ギャンブルは勝ち負けに加え、お金が絡んでくる
だから勝ち負けの強度がジェットコースターのようになる。
その感覚を脳が覚えてしまうともはや理性は効かなくなる。
ある夜にパチスロの動画を観ていた
次の日にどうしてもやりたくなり、朝まで脳内でシュミレーションが始まっていた
どんなシュミレーションかというと
朝7時30分には銀行の通帳を持って、口座に3万円入っているので、いつもの通りのあの銀行のATMで下すため、銀行の前に8時30分に車を止めて3万円おろし、ホームのパチ屋の駐車場に車を入れ、9時の開店に並び、角から2番目の台に座る。
と事細かく頭の中でシュミレーションが何度も繰り返された。
そして夜が明け、7時30分から角から2番目の台に座るまで一寸も狂わずに行動した。
イメージ通りだった。
そこから2時間もしないうちに3万円を使い果たし、ぼろ雑巾のように帰ることまでは予想できなかったのだが。
渇望。
それは脳が疼いてしまうこと。
今日も賭けない一日をありがとうございました!