さて、依存の話をしようと思う。
この前、ギャンブル依存症家族の人からの質問で
「よい依存というのもあるのだろうか?その場合良い悪いの区別はどこにあるのだろうか?」と聞かれた。
実は僕も昔そういうことを考えたことはある。
例えば
野球選手は野球ばかりしているが野球に依存とは言わない
また将棋の棋士は将棋のことしか考えていないが依存しているとは言わない
ではなぜギャンブルや薬物は依存と言われるのか?
あくまで僕の考えだけど
同じ依存であっても「他人に迷惑をかけているかどうか」の違いは1つあると思う。
別にプロ野球選手は他人に迷惑をかけていない
ペットに依存していても他人には迷惑をかけていない
(上記の場合でも他人に迷惑をかけている場合ももちろんある。)
それに対してギャンブルの場合は他人を巻き込むし、自分の人生を巻き込んでいく。
では 依存とはどういう状態を指すのか?
僕が考えるに次の2つだと思う
・やめようと思ってもやめられないこと
・依存行為の優先順位が通常の生活よりも上位になってしまうこと。
1つ目は本当に自分でやめようと思ったときに自分の力だけではやめられないことを指す
僕もこれを理解した時に「あ 依存症なんだな」と気づいた。
それも長い間そういう状態だった
30歳頃からギャンブルはやめたいと思っていたし
40歳過ぎては本気でやめたいと思ってもいた
それでもやめられなかった。
2つ目の通常の生活とは
例えば 仕事、家族サービス、子育てなどやらなければいけない通常の生活を差し置いてでも依存行為をしてしまうのは「依存」だと思う。
これは昔仲間と「どこからが依存症でどこまでが依存症じゃないんだろうね」という話になって
「生活の優先順位の1番上ならそれは依存症だよね」という意見で落ち着いたことがある。
ただ人は誰しも何かに依存しながら生きている。
自分のことを考えてみてほしい
これをしていれば生き延びられるというものはあるだろうか
・ペット、推し、アイドル、運動、サウナ、などなど
人は普通にいろんなものに依存して生きている
ただ度が過ぎたり、仕事や家庭生活を壊してまでやってしまい、かつやめたくてもやめられないのであれば注意が必要だろう
大事なのは「上手に、浅く広く依存すること」である
1つのことだけをやるのではなく、上手にいろんなことをやってみる
人間関係も1つのコミュニティだけでなく3つくらいを上手に活用する
仮に1つが行き詰っても他のことで息抜きができる
そうやって1つに依存することから複数のことに依存できれば
やがて1つにこだわることも少なくなるだろう
もう一度自分の特性を理解して、どんな部分が依存症に影響しているのか
理解してみることも大事である。
今日も賭けない一日をありがとうございました!