僕はだんだんと思い出してきた
あれは鬱だった
今思えば僕はもともと鬱気質だったと思う
躁状態はないので躁鬱というわけではなかった
鬱の始まりの記憶がある
高校1年の秋だったと思う
僕は部活のグランドで座りながらぼーとしていた
少し肌寒い秋風が吹いていた
寒いと感じた
その時なぜかわからないけど虚無感が僕を襲った
そして僕はふいにこうつぶやいた
「つまんねえな」
急にすべてがつまらなく感じて僕はそのままその場から自宅へ帰り
次の日から部活に行かなくなり、そのうち部活をやめた
急にすべてがつまらなく感じ、何もかもどうでもよくなっていた
それを説明するのは難しいけど
今の僕ならわかる
完全に鬱の症状だった
それから僕は帰宅部になり、帰って何もせずに寝たりした
他人と関わることが怖くなり、学校でも暗くなったり人と関わらなくなった
たぶん周囲からはよくわからなかったとは思うし
僕自身もなぜこうなっているのかわからなかった
高校2年になって学校に行きたくなくなりさぼりがちになった
学校に行くふりをして家を出て、しばらくして家に戻って潜んでいたりした
風邪を引いたと嘘の電話を学校にかけたりした
何をするのでもなくただあてもなくブラブラした
何かから逃れるように。。。
高校2年の春くらいの実力テストをさぼった
というかもはや精神的に行けなくなっていた
足が学校に向かなくなっていた
担任に呼びだされ「家で何かあったのか?」と聞かれ
僕はただ泣いていた
たぶん ただの鬱だった
現代ならメンタルクリニックもあるだろうが当時はそんな病気は誰も理解していなかったし
むしろ精神科はもはや人生終わりみたいな時代だったなあ
その日から僕は何とか登校するようになり、やる気の戻らないまま高校3年になった
学校をさぼっていた時唯一の楽しみが小説だった
村上龍にハマっていて
学校をさぼっては書店をまわって全巻読破していた
それくらいしか楽しみがなかった
今みたいにネットもないし、スマホもない時代だ
生きにくい時代だった
高校3年になってもやる気は戻らず、それでも進路を決めなきゃならなかった
実家は死ぬほど嫌いだったので専門学校に行こうと思っていた
仙台の大原簿記学校でもと(笑)
それも何となく決めていた
親戚の叔父から「税理士にでもなればどうだ」とよくわからない話を聞いてそう思っただけだった
でも結局まわりからの「もったいない」という意見や学費が高いということで
どっかの国公立大学を探した
僕にとって進路は金のかからない学校を選ぶことだったので
自然と国公立大学になった
あとは偏差値が足りないので
職員室の赤本を眺めながら
東北大は無理、北大は無理、弘前大学は近いから嫌、、、
その時代みんなが関東方面を目指していた東京や仙台へ
ひねくれていた僕はみんなと違うところがいいなあと
北海道を探していた
北海道の国公立は北大、小樽商科大学、釧路公立、室蘭くらいだった
その中で薄い赤本の小樽商科大学を手に取った
札幌から近いし、スキーもできるし、いいんじゃね?
そのくらいの感覚だった
ラッキーなことにその年、夜間主コースというのが創設され
前年までは短期大学だったのが4年のコースとなるのが創設された
僕は昼間のコースと夜間のコースを受け
実は両方とも落ちた
そして新聞奨学生をやろうか地元で浪人しようかと考えていた時に
夜間主コースの補欠合格の通知を受けはれて大学生となることができた
そうして僕は夜間主コースの1期生となり、小樽へ向かった
<今日はここまで>
今日も賭けない一日を。