あの頃の話。発症前

誰にも話していないあの頃の話を書いておこうと思う

なぜだか最近あの頃を思い出す

こんな時は考えるより早く指がタイプしている

あの頃の話。

そう30年前の話。

僕が小樽で大学生活を送っていた時の話。

人生で1番酷かった時代の話。

少しずつ記憶をたどりながら書いてみたいと思う

たぶん その物語は僕の記憶の中にしかないから

僕だけの物語。

僕はあの頃、小樽にいた

小樽という街が観光地であることすら知らなかった

でも僕はそこにいた

本当に雪深い街で時々陸の孤島となった

札幌までは快速で40分程度、車でも1時間もあれば着く

小樽運河が有名な観光地

そんな場所に僕は生きていた

確かに僕は生きていた。

そもそもなぜ小樽だったのか?

その話をするには高校時代まで戻る必要がある

僕の高校は県でも有名な進学校で毎年東大に3名は合格していた

よく恩師に「お前は入学した時は50番以内だったのになあ」と今でも言われる(笑)

当たり前だが高校の勉強に僕はついていけなかった

そしてさっさと勉強するのをあきらめていた

だからほとんど450人中430番とかの成績だった

これには理由があった

僕は中学の時はほとんどサッカーばかりしていて

3年の夏に部活をやめてから一気に勉強した

それで合格したのだから入学時成績がいいのは当たり前だった

そして高校に入学したらそんな生徒ばかりだったのである

くそみたいなキツイ部活をしながら膨大な量の宿題をこなす

そんな意味不明な同級生ばかりだった

僕は早急に脱落していた

高校1年の時ハンドボールをしていたが

部活をして帰ると勉強する体力も気力もなかった

だから勉強しなかった そして全然わからなくなった

本当に数学や物理は意味がわからなかった

何とか食いついたのは現代国語と倫理政経と英語だった

倫理は本当に楽しかったなあ

高校1年が一番楽しかった

2年で僕は思い詰め、部活をやめ、たぶん鬱になっていた

そんな昔に鬱なんて病気の概念はメジャーではなかった

精神的な病気なんて話題にすらあがっていない そんな時代だった

今思えばあれは鬱のパニックだったなあ

もちろん病院なんていかなった

グレイな症状だったし、やがて何とか学生生活を送れるくらいにはなっていたから

ともかく僕は高校2年からは死んだように生きた

何も楽しいことはなかった

そしてたぶん鬱だった。

今思えば 高校に合格して「荷下ろし鬱」みたくなったのだと思う

高校1年から目標を失い「早く学校をやめたい」とばかり文句を言っていた

それが部活をやめてから一気に落ちていった。

<今日はここまで>

今日も賭けない一日をありがとうございました!