『私のトナカイちゃん』と自尊心の問題。

ネトフリで「私のトナカイちゃん」を見た。

表向きはストーカーの話なんだけど、本当のテーマは「自尊心の低さ」である

主人公は同情からストーカーの女性に紅茶を奢ってしまう

それがすべての始まりだった

でも本当の問題はもっと前から始まっていた

主人公は断れないのだ

ストーカーに生活をめちゃくちゃにされても

脚本家に麻薬漬けにされレイプされても

それを断れない。

最後にはまたその地獄を選んでしまう

ストーキングが収まると逆にストーキングされないことに不安になっていく

つまり主人公は「必要とされたい」のだ

それによって自己の価値を保っている。

それほど自尊心が低い。

なぜ自尊心が低いかは明らかにされてはいないが

自尊心の低い人の悲惨さがよくわかる

ストーキングされても、ひどい性虐待を受けても、

「必要とされない」よりましだと思ってしまうのだ

おぞましいけどね。

僕も若い頃そうだった

物事は断れないし、必要としてくれる人についていった。

その根底には「自分は無価値だ」という気持ちが根付いていた

その心理的抑圧から回復するのは至難の業だった

やっと最近4割ほど回復したと思う

少しずつだけど「断ること」ができるようになった

「本当は嫌なんだけど断れない」という矛盾した気持ちはストレスから自分を壊していく

勝手に壊れていく。

よく他人は「そんなの断ればいいじゃん」とか

「はっきり言ってやんなよ」とか

「怒ってやればいいんだよ」とか

「舐められているんだよ」と言う

本当によく言う

それが断れたり、怒れたりできたらどんなにいいか

想像できないんだと思う

抑圧されて育ってくると僕みたいになる

それをどうしたらよいかわからずパニックになってしまう

自尊心の低さから迎合し、自分を必要としてくれる人に依存していく

そんな生き方しかできなかった

20代の頃よく外国人男性に誘われた

僕は友達になろうとしただけなのによく性的な誘われ方をした

しかしなんでああいう時は安い薬で無理やりやろうとするのかねえ

まあ いいけどさ

残念なことに僕にはそういう性癖はなかったけど

好かれるのは悪い気はしなかったのでよく遊んだ。

たぶんそういう被支配になれてしまっていてそれ以外の生き方は難しかった

僕の人間関係の防御の仕方もそこから来ているのだ

『支配と被支配の関係』

そして今は支配しようとしてくる人は拒絶することにしている

そういう人はどこまでも傷つけ支配しようとするから

誰だって「必要とされる」のは嬉しい

だけど「自分の無価値」をそれで埋めようとすると

それに支配されていく

僕はもうそういうのは嫌だ

きっと心理的レイプなんだろうな

それは心理的に自分を殺されることを意味している

自尊心が少しずつ回復してきたのはここ最近の話だ

少しずつ少しずつ失敗して失敗して

やっと息ができるようになった

きっと「ありのまま」で生きられる人たちはわからない

もう自分を偽らなくて済む

そこまでくるのにどれだけ苦しかったか

いやまだまだ苦しいけど

最近もパワハラを受けて上司に話したときに

「そんなのは怒ってやればいいんだよ」と言われ

「それができればパワハラにはならない」と怒ってしまったなあ

上手に怒ることも断ることも抑圧されて生きているとすごく難しい

そんなことを思い出してしまったとさ。

今日も賭けない一日を。