誰もが気づけないこと。

最近ご飯が美味しい!

それがすごくしあわせだ。

鬱の時は砂利の味しかしなかったし、そもそも食べたくなかった

食事を取らなければならないことが憂鬱だった。

それを考えると今はしあわせである。

ただきっとその状態にも慣れてしまうのだろうけど

「人は失ってみないと実感できない」

そう思う。

健康や手足が動くことを僕らは当たり前だと普段思っている

だけど病気になったり、動かなくなってしまって初めてそれがしあわせだったと気づく。

「人生は有限である」

これは真実である。

「死」は誰にでも平等にやってくる

ただ、いつやってくるかはわからない。

そんなことを最近改めて感じるようになった。

それは同級生が僕の勤めている病院に治療にきたからである。

僕は彼とは高校時代、それほど交流したわけではなかったが

30年も時を経て50歳近くなると昔のことなんてどうでもよくて

ただ同じ時代を過ごしていた仲間として嬉しくなるし、今仲良くしたいと思う

でも彼は病気を抱えている

僕は彼に会ってからいろんなことを考えている

そしてできることはできるうちに、今すぐやろうと決めた

「でもなあ、どうしよっかな、恥ずかしいしなあ」

そんな暇は僕の残りの人生にはない。

僕は後悔したくない。

もちろんできずに終わることもあるだろう。

でも

「同級生と食事くらいは行きたいなあ」と思う

それくらいはもう躊躇せずに行動したい

後悔したくないから。

あなたは自分の人生が1週間後に終わるとして今日何をしますか?

それでもギャンブルをしますか?

今日も賭けない一日をありがとうございました!