ギャンブル依存症とアイデンティティ。

ギャンブルをやめて3年半経つ。

3年目は何度も「ギャンブル依存症であることを消して生きていきたい」と思っていた

それは「昔、ギャンブル依存症でさあ、今はもうしてないんだけどね」と

普通の人に話してももしかしたら通用するのかもしれない

そう生きれるかもしれない

そう生きてみたい

と何度も思った

別にネットのアカウントをリセットすれば割と簡単にできるし

自助グループ関係の人間関係を切ればいいし

仲間も「事情があるんだな」と察してくれるだろうし

まあそうするのも僕の勝手だ

とは思う。

そして僕は時々依存症の講習とかでいろんなことが面倒臭くなると仲間に話していた

「過去のこととして葬りさりたいと思うことがあるよ」と

でもそうしなかった

なぜか?

1つはもはや「ギャンブル依存症の僕」というのがアイデンティティにさえなっていたから

そして「ギャンブル依存症」繋がりの人間関係ができていたから

今の僕から「ギャンブル依存症」を取り去ったら

何が残るのだろうか?(笑)

変な言い回しだけどそうなる。

今の僕の構成要素の50%くらいは

「ギャンブルを3年半やめている」

「オンラインミーティングをやっている」

「リアル自助グループをやっている」

「12ステップをやっている」

という感じで依存症のことで構成されている

もはや自分とは切り離せないのである

それも含めて自分なのである

だから「昔さあ、ギャンブルにはまっちゃってさあ。借金作って離婚してさあ。今は違うけどねえ」

なんて平気な顔をして過去を切り離しては言えない。

僕は僕を背負っていく

そうでなければ依存体質の僕がかわいそうだから

彼はずっと独りぼっちだったから。

僕が彼を見捨てたら、彼はまた独りぼっちになってしまう

だから僕は決して彼を見捨てない

共に生きていく

今日も賭けない一日をありがとうございました!