4年前の話。

それはギャンブルをやめ始める1年前の話で

離婚して1年が経ってた頃で

僕は誰とも繋がってなくて

毎日暗闇の中を歩いているようだった。

自助グループにも数年前に抜け出した経緯があり、行きづらく

誰ともどこにも繋がっていなかった

そしてその時の僕には繋がる能力すらなかった

気持ちは内へ内へと入りこみ、不安神経症を併発していた

会社では何気なく仕事していても

常に「誰か助けてくれないかなあ」と抱え続けていた

それを吐きだす場もなかった。

部屋に帰れば独りで、孤独で、寂しく

常に「僕には何もない」という気持ちを抱えていた

そんな僕が逃げ込んだのは小さな教会だった

その教会には行ったことはなかったが僕は時々いろんな土地で牧師に話を聞いてもらっていた

どこの牧師さんも丁寧に話を聞いてくれ

不安でおかしくなりそうで泣きながら話す僕を受け入れてくれた

クリスチャンの人たちは優しかったし

僕も最後の砦だと思っていた

しばらく通っていて、僕も慣れてきたし、他の人とお昼を食べたり、子供たちとサッカーをしたりした

僕には結構合っていたと思う

ただ何でもかんでも「神様のおかげですね」と言うのに疑問を感じ始めて

日曜日に自分の用事が出来始めると行かなくなった

そこに集う人たちは弱い人達だったけど僕は憎めなかった

なぜなら僕も自分を変えて欲しかったし、救われたかったし、生きてていいよと言われたかったから

それから4年経つ。

あれから何となく教会を訪れたことはないが

僕は今でもミサも好きだし、いろんな教会を巡るのも好きである。

聖書の詩編も暗記していた

それは僕に平安を持たせたし、今だって信じる何かを僕は信じている

僕が今後弱り果てて、どうしようもなくなったら

また教会を訪ねて、受け入れてもらうかもしれない

それくらい暖かい空間だったし、あの時の僕にはありがたかった

人のぬくもりがある空間は救われた

もしも今後も信仰が必要であり、迷うことがあるならば

また通った方がはっきりしていいと思ったりすることもある

私は何かを信じる人が嫌いではない

むしろそっち側の人間である。

あの頃、サッカーをした男の子や女の子たちは元気だろうか

また顔を出してみたいなあ

今日も賭けない一日をありがとうございました!