「自分のことが好きですか?」
この質問に依存症の最中の人で「好き」と答える人はどれくらいいるだろうか?
まあ いることはいると思う(笑)
僕は大嫌いだった
だったというのは今は「嫌いではない」程度である。
自分のことが「好き好き大好き!!!」という人とはたぶん友達にはなれない(笑)。
僕は昔から「自分を許せたら人生はOK!」と思っていた。
そして20代、30代、45歳まで自分を好きになる努力をしてきた
いや「自分を好きになろうとしていた」のだと思う。うまく言えないが。
でも、だいたい無理だった。
「鏡に向けて毎朝笑顔を作りましょう!!」とか
「今日も僕はかっこいい!と唱えてみましょう!!」とか
巷にはそんな心理学の本で溢れていた。
そんな時代でもあった。
TVではカウンセラーがタレントを号泣させて数字を稼いでいた
アメリカから「アダルトチルドレン」という概念や「機能不全家族」という概念が入ってきた
さらに自尊心、自尊心と世の中は騒ぎ立てた。
まあどれも僕にはよくわからない
確かに僕は生まれた時から両親がいないから「機能不全家族」かもしれないし
「アダルトチルドレン」かもしれないが、だから何だという感じである。
突き詰めていくと僕にとっては
「自分を好きか?」「自分を許せるか?」になっていく。
最初の方の話で僕は「自分を嫌いだった」と話した。
「自分を好きになる努力」をしても
ギャンブルをやめられないので、またリセットされてしまいにはマイナスになった
そんなことを繰り返していたら「自分を好きになろうとする努力」すらやめてしまった
だけどやっとギャンブルをやめ続けて3年になって
最近「自分を好きかどうか」すら忘れていて、この前の研修の講座の中で「感情の対処」の話を聞いていて思い出した。
「自分を嫌い」でいると世の中がどうでもよくなるし、自分がどうでもよくなった。
自分を責めて、痛めつけていた。
自分さえいなければ、そう思ってばかりいた。
研修の中でいろんな依存症当事者の話を聞いた。
感じたのは僕はたまたまギャンブルだっただけだということ。
お酒は飲めないからアルコールに依存しなかったし
薬物は捕まらなかったし、そういう環境は持続しなかった
恋愛は今も依存はしているけど(笑)
ともかく依存症の素質は十分にあったということだ
いやむしろエリートだと思うし、依存を使って生き延びてきた
たぶんそのキーワードは
「自分のことが好きですか?」ということなんだろうと思う
日本人の性格から遠慮して「自分が好きって言って変な人と思われたらどうしよう」という人もいるだろう
「自分が好き」=「自分を許せる」ということだと思う
「自尊心」とか「自己肯定感」とか難しいことは置いておいて
「自分を好き」か自分で感じてほしいと思う
僕がどうやって「自分を嫌い」から「自分を嫌いではない」程度になったのかは
いろんな要素があると思う
「回復のプログラム」をやったこともそうだし、
「いろんな人の話を聞くこと」もそうだし、
彼女の存在ももちろん大きいと思う。
いろんなことを含めて「他人から肯定されること」だったような気はする
もちろん「自分で自分を肯定すること」も大事だったけど
「他人から肯定されること」も大事だった
そのことによって自分で意見を言えるようになったり、嫌なことは嫌と言えるようになっていった(まだ苦手ではある)
それが本当に大きかった。
つまりは「あなたはこの世界にいてもいいんだよ」と世界に言われていると感じることができるということだろうか。
簡単なようで非常に難しい
あなたが少しでも自分を許せるようになりますように!
今日も賭けない一日をありがとうございました!