頼ることの難しさ。

僕ら支援側や一般の人たちはよく「頼ればいいのに」と思うことは少なくない

例えば行政や医療、さらに相談先に頼ればいい とよく言われる

確かにそうだと思う

生活が苦しいなら生活福祉課、相談先はいろいろとあるだろう。

だけどそれでも相談、頼ることの難しさを書いてみたい

僕も「頼ればいい」と思っている

だけどそういう状況じゃない場合もあるということ

僕は今回ストレスを抱えて鬱状態になった

さて、僕はこれをどうしようか?と考えた

・医療機関

症状がなかなか持ち直さなければ、検討の1つだった。

しかし、前回の受診から1年は経っていてさらにコロナ禍で予約制になり、早くても受診まで1週間はかかると電話で確認した

・とりあえず誰かに話すこと

次に考えたことが「誰かに話すこと」だが、これはこれで人を選ぶのだ

利害関係のない人で否定もしない人(笑)

今回は正解の人を選んだ(笑)

その前に仕事を少し休みたいと思っていたが、仕事仲間に僕も話さなかったし、周りも僕の調子に気づくわけはなかった。

もう少し異変があれば気づくと思う。

腐っても人を支援する部署にいるのだから(笑)

でも、中途半端だった

「休みたいけど、仕事するくらいならいけるかもしれない」レベルだったから

でもさすがに金曜日は無理だったので、体調不良と共に上司に話して休ませてもらった。

理解ある上司に恵まれてありがたい。

さて、今の状況を誰かに話す段階に来たが

これが結構難しいのだ

「今さあ、ちょっと死にたくてさあ」は人を選ぶ(笑)

まあそこで考えるのは鬱経験者、結構周りにいるので。

そこまで2日かかっている

その前はそもそもスマホのアプリを開くのも面倒になっていたので、そもそも相談の気力がない。

そして僕は鬱経験者の仲間に話して少し楽になったのである。

ここでのポイントは「相談する方の気持ちや外に向けて話せる状態か」ということである

悩みを抱えると内に内に入りこんでいく

どんどん閉ざしていく

ぐるぐる回って、本来の解決能力や多面的な見方ができなくなる。

そして相談する場所や人を選ぶ 当然である。

そういうことを考えなくてもいい人、場所に話すのも1つの手だなあと思った

例えば、いのちの電話とか

僕は以前よく電話していた。

僕の意味わからないことも辛抱強く聞いてくれた

今ならLINEのそういうサービスもある

相談するハードルを下げる必要がある。

さらに言えば、相談する方に「こう言ったらどう思われるだろうか?」

「こう言われるんじゃないだろうか?」と思ってしまうとやはり相談は躊躇する

仮に言いたいことがわからなくても、気持ちが整理できなくても

話せる人や場所があれば、少しだけ希望が見える

そしたら、もう少しだけ生きていける

人は少しでも肯定されたら生きていける

「R君はそういう良いところもあるよね」

そんな言葉で何度も涙してきた

言葉ってすごいよね

人を殺しも、救いもする

あなたの言葉はどっちですか?

僕の言葉は届きますか?

今日も賭けない一日を。