ひとりごと。

相対的ということを考えていたが、着地点がわからなくなったのでひとりごととする

相対的ということをいろんな場面で見ることがある

相対的貧困、相対的幸福、相対的、、、、。

まあつまりはこういうことだ

「僕貧乏で」と恥ずかしそうに話す時に「貧乏」は人によって違う

人によっては月収15万で貧乏と言っているかもしれないし

人によっては今日食べるものがないことを指しているのかもしれない

「寂しくてさあ」というのも

人によっては死ぬほど寂しいのかもしれないし

人によっては電話相手がほしいのかもしれない

また仕事で出張があることは

人によっては楽しいことで

人によっては苦痛なことかもしれない

「ギャンブル依存症」ということに関しても

人によっては借金500万以上のことかもしれないし

人によっては週末に賭けてしまうことかもしれない

「しあわせ」という価値にしても

朝起きるだけでしあわせな人も

BMWに乗ることがしあわせな人もいる

つまりはそれぞれの価値は人によるということ

当たり前じゃん!と思うかもしれないけど

ニュースや事件に関する意見などを読むと

簡単にあれはだめこれもだめ、これはこうでなくちゃ

人は簡単にジャッジする

僕だってしてしまうこともある

でも、もしかしたらどれも正解でどれも間違いかもしれないし

その人にとっては正解かもしれない

彼女にとってはそうするしかなかったかもしれない

結局はその人にしかわからないことも多いし、単純に批判したり、カテゴライズするのは危険だよなあ

と最近思うのです。

まあ あまり具体的に書けないし、着地点もわからないのでひとりごととですが

例えば 僕は美容おじさんになって2年ですが(笑)

最初は洗顔の仕方、化粧水、乳液、などなどどれがいいかもわからないし、ユーチューブ見ても

いろんな人がいろんなこと言ってて

やれ刺激はだめだとか朝は水だけでいいとか、乳液は油っぽくなるとか(笑)

いろんなことを試し、アルコールに肌が負けたりし、最終的に今は洗顔料は使わない方法をしています。

それだって僕に合っているだけだし、年齢によっても違うし、数年後には違う方法をしているかもしれないし

つまり、自分でいろいろと試してやってみるしかないということです。

まあ いろんなことがそうですね

仕事も趣味も回復もミーティングもネット活動も

自分で決めてやってみてだめなら違う方法やって、違うと感じたらやめてもいいし

そう思う秋の今日この頃です

今日も賭けない一日をありがとうございました!