そして、父は死んだ。

僕の父は僕が6か月の時、僕を祖父母に預けてそれから失踪した

失踪というか借金を作って親類にたいそう迷惑をかけてそれから行方がわからなくなったと聞いた

僕はずっと父に会いたかった

でもどうして足取りがつかめなかった

父の兄にも会いに行った

優しい父の兄の家族には「テレビ番組とか探してもらったら?」と言ってくれた

でも僕はそこまではしなかった

父も会いたくないかもしれないし

きっと祖父母に僕を預けたことを負い目に思っていると思ったからだ

僕が祖父母に養子に入ったのは、母が僕を生んで6カ月で死んだからだ

祖父母が僕を引き取った細かい経緯は僕は知らないし誰も話さなかった

でもきっと祖父ならそうしただろうと今ならわかる

祖父ならそうする、そういう人だ。

父はそれ以来僕に会いに来ることはなかった

いや一度だけあったかもしれない、写真があったような気もする

ともかく僕の父は行方知れずになった

ただ、僕は父の存在を知らされずに育ったので父を知らなかった

でも、16歳くらいから自分のルーツを探すようになった

でも見つからなかった。

そのうち「父が死ぬまでに会えればいいや」と思うようになった

僕が結婚しようとするときに警察から電話がきた

「あなたの父親と思われる方が東京のアパートで亡くなっていました。DNA鑑定に協力してくれませんか?」

僕は青森の警察に行き、DNAを取ってもらった。

父には子どもは僕しかいなかったから

結果は父だった。

僕は東京の葬儀屋に安置されている父に会いに行き、青森の姉に墓はどうすればいいか聞いたら

「あなたの自由にすればいいが、負債などあれば困るからね」と言われ

僕は無縁仏にしてもらった

今もどこにいるかはわからない

区役所に遺品を取りに行き、父の数千円の通帳は区役所に寄付し

バスカードの顔写真をスマートフォンで撮った

僕にはそれだけで良かった

「なんだ、少し禿げてんじゃん」

僕の感想はそれだけだった

僕はそのバスカードだけ持ち帰り、他は処分してもらった。

たぶん父は僕に会いたかっただろうと思う

そう僕は自分が父親になってから実感する

自分の子供には会いたい

当たり前のことだ

僕は自分の子供にはそういう思いはさせないと心に誓っている

こんなことを朝から書きたくなったのは

映画「ドライブマイカー」を3時間も観たからだ

他人は知らないが僕は生きていかなければいけない

理由があるから。

今日も賭けない一日を。